随筆石と竹 「★」

 

デヴィッド・ボウイが逝ってしまわれた。

私がロックにのめり込んでいた中学、高校生時代には、特別熱心なデヴィッド・ボウイ(以下敬意を込めてボウイ)ファンと言うわけではなかった。しかしその当時、FM大阪に「ビート・オン・プラザ」という、新譜アルバムを丸々流してくださるありがた~い帯番組があり(DJは田中正美さんという男性)、私はほぼ毎日愛聴していたので、ボウイのアルバムも1970年代のものまでは殆ど耳にしていた。’スターマン’や’ヒーローズ’などは好きな曲だった。1979年の春に私は尺八を吹き始めたため、興味がそちらへ移り、ロックやジャズはあまり聴かなくなった。

その後、ボウイの名前を聞いたのは映画「戦場のメリークリスマス」だった。坂本龍一、ビートたけし、トム・コンティなどなどの一風変わったキャストの中で異彩を放っていた。

ネットで調べてみるとボウイは2003年まではミュージシャンとして、また俳優として多方面に活躍していたらしい。ところが、同年半ばのツアー中に急病になり、ツアーが中止となって以来、一命は取り留めたものの創作活動は消極的になり、一部では引退も囁かれていたとのことである。

ところが、10年の沈黙を破って2013年に新作CD「ネクスト・デイ」を発表し、周囲を驚かすと同時に華々しい復活を果たす。そしてそのまた3年後に、結果的には遺作となってしまったCD「★」を発表した。その発売日は2016年1月8日、ボウイが69歳となる自身の誕生日だった(そう、ボウイと私は誕生日〈尺八の日〉が同じなのである)。新作「★」で世界中を喜ばせたのもつかの間、なんとその二日後の1月10日に、一年半におよぶ闘病生活の末、死亡したとのショッキングなニュースが世界をめぐった。

無礼を顧みずに言うと、一世を風靡したスターの波乱万丈の人生にふさわしいドラマティックな幕引きである。その訃報を知った私は、ボウイが最期のメッセージとして何を残したかを知りたく「★」を買い求めた。

多くの期待と少しの怖さがないまぜになった気持ちを抱え、そろそろとCDを再生した。一通り聴いてみたがイマイチよくわからない。私が好きだったロック色は薄れジャジーな雰囲気が全体を包み込んでいる。”これは何度も聴くしかない”と考えた私は、それから一週間ほど毎日聴いた。四日目を過ぎた頃から、次第にその姿がだんだん見えて(聞こえて)きた。ライナーに載っている対訳を読むと、その歌詞はいずれも思惟的で比喩、隠喩が多く難解である。書かれてある日本語すら私には解読不能であった。

偶々数日後、ボウイの昔の曲を聴いてみようとyou tubeを開いたところ、「★」のPVが真っ先に出てきた。さっそく観てみると、耳で聴いているだけではおどろおどろしくて理解出来なかったストーリーや仕掛けが一気に腑に落ちた。そしてそれからは聴けば聴くほど魅力あるアルバムだと感じられるようになった。本意からは外れるが「百聞(百聴)は一見に如かず」であった。

「★」は全体に重く、タイトルどおりダークな印象の曲が多いのであるが、終曲は一転してノリの良いポップな曲調となっていて憎い構成である。そのタイトルが「I Can’t Give Everything Away(私は全てを与えきることはできない)」で、曲の8割ぐらいはこのタイトルのリフレインである。

I Can’t Give Everything Away.

しかし、私にはそうは思えない。

世間からすると69年の幕引きは早い印象を与えるが、デヴィッド・ボウイという稀有のアーティストはデヴィッド・ボウイとしての人生を全うして旅立たれた、と私は思う。そして私に”全うする”ことの意味を教えてくださった。

 

不肖私も自分の尺八人生、石川利光という人生を全うして旅立ちたい。

デヴィッド・ボウイは私にとっては決してBlack StarではなくGolden Starであった。感謝と敬意を込めて R.I.P.

 

 

 

 

 

 

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