随筆石と竹 「ハイスクールララバイ」

阪神甲子園球場は拙宅から阪神電車一本で行くことが出来、ドアツードアというかドアツーゲートで30分ほどの近さである。

小学生の愚息が少年野球をやっていることもあり、ここ数年、春夏の高校野球開催期間中には1~2回は訪れる。プロ野球ももちろん面白いが、高校野球はそのひたむきさが心地好い。今春はうまく日程が合い、地元兵庫、大阪の選抜校が出場する日に応援に行くことが出来た。

グラウンドで伸び伸びプレーする球児たちを眺めながら、私は自分自身の高校生の頃を思い出していた。

 

私の高校時代は暗黒の時代であった。

まず高校に入る前に大きくつまずいた。すべり止めに受けた私立高校がまさかの不合格、あとが無くなった公立高校も見事に玉砕、すわ中学浪人か、という窮地に立たされた。気落ちして中学に不合格の報告に行くと、進路指導の先生が「私立高校の二次募集をやっているところが何校かあるから受けてみるか」と声をかけてくださった。そこで、その中から合格の見込みがあり、自宅から何とか通学出来る学校を選び受験した。その高校が私の母校となった。

私が通った時代の大阪の私学は殆どが男女別学で、私の出身校である「浪速高等学校」も男子校だった(現在は共学)。

とにかく右を向いても男、左を向いても男、男、男。先生も当然みな男。女性は理科の助手に1名と事務室に数名いらっしゃる程度であった。入学し一応めでたく高校生にはなったものの、挫折感に満ち溢れ、知らない野郎ばっかりの状況では士気の上がりようもなかった。

今思えばその現実から逃避しようとしていたのかもしれないが、1年生の頃は中学から好きだったロックを聴くことにはまり込んだ。ミュージック・ライフと音楽専科というマニア向けの雑誌を読み漁り、当時の主なアーチストやバンドの新譜は殆ど聴いた。夏と冬の休みになると工場でアルバイトして、その給料でレコードを買うことが大きな楽しみだった。

2年生になると、ロックと並ぶもう一つの楽しみであったプロレスを実際にやることになった。同じクラスになったプロレス好きの友達(この頃にはようやく友達と呼べる人が何人か出来ていた)と、伊丹にあったアマチュアプロレス(!)の団体に日曜日ごとに参加し、トレーニングと試合を行った。その団体は、プロレスラーになりたかったが身体が小さいために叶わず、それでも日々トレーニングを続けているという社会人の人が主宰しているところで、大学生や自称元前座プロレスラーという人が集まっていた。東京のよく似た団体との交流戦は人気TV番組のイレブンPMで紹介され、私はセコンドでちらっと登場した。これが私の放送デビューである。私は試合時はキム・ヤトという韓国系のリングネームで、下駄を履いてリングに登場し、相手選手にラフ攻撃を仕掛けるというヒールレスラーであった。これは3年生の夏ぐらいまで続けたように記憶している。

さすがに高3になると受験態勢に入った。私は予備校などには行かず、学校を出た後は友達の大西君と楠本君と3人で大阪の夕陽丘にあった図書館に毎日通って受験勉強らしきものをした。図書館に行く前に天王寺の王将(現・大阪王将)に立ち寄り、餃子を2人前か3人前食べて行くのが日課だった。当時の(大阪)王将のメニューは餃子とビールしかなく、餃子一筋の気合が店に満ちていて今よりもずっと美味かったように思う。

21時の閉館まで図書館にいて、それから帰宅し、深夜は「大学受験ラジオ講座」を聴いて勉強を続けた。受験勉強は面白くなかったが、高校に入る時に味わった惨めで情けない思いは二度としたくない、という意地で何とか続けた。高3では一応国公立文系のクラスに在籍したが、自分の中途半端な頭では、5教科でまんべんなく点を取るということは無理なことが次第にわかり、一応国公立は受けるにせよ、関西の私立文系狙いにシフトした。結果として、受験した公立大学には全く及ばなかったが、私立は2校受けてどちらも合格した。

その後、進んだ大学で尺八と出会い、それが私の現在の生業となっている。本当に人生はどこでどうなるかわからないから面白い。高校時代の同級生に”オレ今、尺八で生活してんねん”と言うとひっくり返らんばかりに驚かれることも痛快である。

どよーん、もわーん、とろーん、とした高校生時代を送った私からすると、目の前でハツラツとプレーする高校球児達は眩しくて仕方がない。子供の頃から夢や目標を持ち、それを叶えている姿には心から拍手と声援を送りたい。

しかしまた、今は将来に対する夢や希望を見い出せず、悶々としている高校生達にも、これから先、素敵な出会いや、才能を開花する時機が必ず来ることを伝えたい。

 

私がそうであったように、一寸先は闇かもしれないが、一尺先は光になることもあるのだ。

 

 

 

 

随筆石と竹 「ハイスクールララバイ」” に対して2件のコメントがあります。

  1. 小島 國生 より:

    石川先生

        「石の会・夏の演奏会」の件
     下記の蘭童曲3曲で参加しますのでよろしくお願いします。

     ①夕暮幻想曲(合奏)
     ②旅人の唄(独奏)
     ③月草の夢(合奏) 演奏時間 計約12分
                       小島 國生

    1. admin より:

      小島様
      さっそくご連絡をいただきありがとうございました。
      蘭童曲3曲で承りました。
      楽しみにしています。
      石川

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