「みんな下手」息子の手品レッスンから学ぶ
ある時、小5の息子が手品にはまり、その熱狂度がすごすぎて、手に負えなくなりました。
例えば、うまく出来ないと泣いて爆発、日常生活に支障が出るレベルに何度も見せられる、感想を求めるくせにダメだししたら怒り爆発、一日中手品のYouTubeを見ている、などです。
そこで、プロの先生を見つけて定期的に指導していただくことにしました。
息子の先生は、コンスタントに舞台やテレビに出られているだけでなく、ご自身での発信や教授活動にも力を入れていて、しかも素晴らしい人格の方です。
初めてレッスンに連れて行った時に、私が息子のことを「一日中やっているけど、下手なんです」みたいに言うと、即座にこういうことをおっしゃったんです。
「あ〜、手品は誰でも下手です。
見せる順番、手順が大切なんです。それを勉強するんです。」
息子のレッスンが進むに連れ、その言葉の真実に納得・感心していますが、
これをヴァイオリンに置き換えて考えてみる今日このごろです。
つまり、ヴァイオリンも、誰でも下手なんですよね。
でも、だいたい皆「上手く」なろうとしませんか?
ここで言う「上手い」とは、”指や手が勝手に超高速に動いて、自分が聞きたい音が流れてくる”という状態です。
自分より高いレベルの人が「上手い」のに憧れて、そうなろうとして、一所懸命になる。
でも、それを目指して、何時間にも及ぶ練習をやったとして、手指が強くなったり敏捷になったりする程度はたかが知れています。
もちろん少々は器用になるでしょうが、それでも個人差(AさんとBさんの能力の差)以上の幅は難しいように思います。
また、その憧れた「上手い」人に訊いてみるといいです。
その人にとっても、自分は「下手」と思っているはずです。
誰も手指が思うように自動的には動いてくれません。
また、ハヴァシュ先生が鋭く分析している通り、そういう繰り返し練習は時に破壊的で、頭(精神)がおいていかれて、益々不安やこわばりを増強させてしまいます。
繰り返し練習が功を奏すとすれば、それは繰り返している間に、適切に頭の中の勉強(曲の暗譜や曲想のイメージ)も出来たからともいえます。
では、何を練習するのかというと、手品の先生の言う「見せ方」にあたるものは、ヴァイオリンにおいては、「曲のストーリーを効果的に聴かせる」ことではないでしょうか。
そのベースとして、「心の耳」を訓練すること、「指板の知識」を勉強することも必要です。
このことに時間を割くことは、間違いなく報われる練習です。
”弾ける頭”になれば、手指は言うことを聞き始めるからです。
だから、たとえある日ある箇所の自分の出す音が気に入らなくても、焦らないことです。
瑣末なことなのです。
何度も何度も弾いて「練習」しても変わりません。頭が賢くならない限り。