「子どもっぽさ」からの脱却の道は険しく

私にとって、子育てから学ぶことは多くありますが、その中の一つに、「子どもっぽい」とはどういうことか、という学びがあります。

子どもを見ていると、つくづく、このようにはなりたくないなと、思わされます。

4歳児の学び:

●自分の欲(例:お菓子をもっと食べたい。)を際限なく満たしたい(お姉ちゃんの分も、引き出しに入っているストックも。)、満たされなかったら暴れる、大声を出す、当てつけに悪いと分かっていることをわざとやる(たたく、蹴る、物を投げる、つねる)。

●自分がしたこと(例:片づけるべきものを放置)で自らが不利益になった(放置したおもちゃが少し破損)にもかかわらず、親に当たり散らす。親に何とかしてもらいたい(新しいものを買え)。しかもすぐに。してくれないと怨む。

●それでいて、自分は「良い子」でありたい。「悪い」と思われていることを受け入れられない。叱られた後に親が上機嫌ではないというそのこと自体に怒る。

●やけくそになったら、手がつけられない。人を傷つけることも辞さない。(鋏を向ける、蹴る、など)

かわいい半面、実にに手ごわいです!

静かに愛情をこめて、しかし毅然と、いけないことは「いけない」ということを理由と共に言うようにして入るのですが・・・。また、多少の余裕は与えているつもりですが・・・。うまく別のことに気をそらして欲望をコントロールさせようともしますが・・・。ままならないこともあります。

それで時には「そういう子は外に出てなさい」などの実力行使や、子どもを力で抑えつけ、強い口調で諭さねばならなくなります。

そういう時は子どもは親の顔を見ません。「顔向けできない」とはこういうことを言うのでしょうね。悪いと分かっていてやっているのですから。

「お母さんの顔を見なさい!」と言って、無理やりにでも目を見させ、「〇○をしてはいけない。」と子どもの目を覗き込んで言います。

これでなんとかおちついて、謝らせることができるという訳です。

お父さんに叱ってもらえる時はそんなに大変な状態までこじれないことが多いです。

ガツンと怒られて、「うわーーーん!」と泣いて、私がとりなしたらすぐに謝ります。

やはり、男の子の教育には父親の存在が大切なのだと感じます。

必死な毎日です。

ちなみに、

11歳児の学び:

●自分のしたことの後始末をしない。後始末は誰かにやってもらって、自分はやりたいことを次々にやりたい。→それは通用しない、片づけてから前へ進みなさいと諭す。

●弟と血みどろのケンカになる → 叱るときは相手が感情的に受け入れられないほど怖く怒らないこと、未熟な相手が理解できない言い方をしないこと、理不尽な目に会っても同じレベルに落ちない、人を叱る前に自分のするべきことを先にするetc…と諭しています。

11歳ともなると、二つ目など親として私が学んでいることと重なる部分もあり、アドヴァイスしながら身につまされることも多々あります。

年の離れた弟を持つというのも大変な学びですね。

しかし救いは、子どもは、その時は修羅場でも、すぐに忘れて、向上心いっぱいの前向きモードになります。柔らかい。体力も有り余っている!

親の壁を乗り越えて、力強く世間を渡っていける子どもたちになってほしいです。

頑張れ子どもたち!頑張れ自分!

ありがとう、お父さん!