「練習」という言葉は嫌い。「理解」することの大切さ

故ハヴァシュ先生が「練習っていう言葉が大嫌い!」とよくおっしゃっていました。

 

「練習しといてね」や、「練習します」と言うのは、ある種逃げの言葉だと思います。

その場で「理解」出来るかどうか、これが大切です。

理解すればすぐに出来ます。

 

もちろん、それが定着するためにはある程度、何度もその「出来る」ことを繰り返して慣れたり、深めたりする時間は必要です。

でも、その場で少しも出来ないことが、家に帰って「練習」したからと言って、出来るはずがありません。

 

生徒に思ったような動きや音を出させることが出来ないからと言って、それを生徒の練習不足のせいにしたり、「宿題」として生徒に丸投げしてばかりは、先生の逃げだと思います。

 

つまい、先生が、その場で生徒に理解してもらえるように教えればいい。

そうできるために常に学び続けるのが良い先生だと思います。

 

そして、生徒が出来ない理由を先生が「理解」すれば、今はそれを教える必要がないことがわかることもあります。

ここでも「理解」が大切。

例えば、今の課題は生徒に合っているのか。

または、生徒の生活が急に変わったことに気がついているかどうか。

今までと同じようにはいかない理由が、ヴァイオリンとは別にある場合もあります。

生徒を正しく理解すれば、無理な「宿題」を出したり、生徒にイライラする、ということはなくなります。

 

 

まあ、時に、あえて逃げることも、お互いのために必要ですけどねてへぺろ

あくまで、「あえて」ですよ!