仮設住宅の子ども達
福島県相馬市にお住まいで、自身も被災されていながら、地域のために犬の避難所運営など様々な活動をされている、千里の道も一歩からさんのブログ
で、先日たいへん感動した記事がありました。
仮設住宅のコミュニティでの子ども達の様子が瑞々しく伝わってきますので、まず全文貼り付けさせていただきます。(ブログ掲載許可いただいています。)
***「長屋っていいかもしれません」by千里の道も一歩からさん****
仮設住宅に入居してはや1年1ヶ月が経ちました。
正直言って夏は暑くて冬は寒いです。そして仮設の長屋ですから隣りの家とは薄い壁1枚、
前の家も窓から顔を出したら小声でも話ができる距離です。
そんな環境だからいい話も悪い話も筒抜けに聞こえてきて、それがトラブルのもとになったりもします。
ですが悪い事ばかりじゃないと感じる出来事が昨日ありました。
夜7時頃仕事から家に返ってくると小学生の子供から4歳のうちの息子まで大勢が外で遊んでました。
うちの妻が家に入るように言っても言うことを聞かなかったらしく、私がちょっと睨みながら家に入るように子供に言ったのですが、それが面白くなかったのか教育が悪いのか反抗的な態度・・・
外に投げっぱなしになっていたシャボン玉の道具を方つけるようにいうと仕方なさそうに片付け家に入ってもぶつくさいているので、怒りのげんこつをおみまいしました゛(`ヘ´#)
息子は大泣き、仮設住宅の敷地中に聞こえるくらいの大声で泣き始めると
小学生のお兄ちゃんがうちの玄関から妻に
『何で怒られてるの?シャボン玉片つけなかったから?シャボン玉で遊んでたのはると(うちの息子)だけじゃないよね?』
というと外に出て行き近所の子達に
『お前らもシャボン玉で遊んでただろ。みんな謝ってこいよ!』
といったらしく
鳴き声もすごかったのですが、私の怒鳴り声もすごかったので、それを聞いたお母さんたちも一緒にうちの妻に謝りに来たそうです。
私は怒りモードで子供を怒鳴っていたので気付きませんでしたし、悪いのはうちの息子でみんなには関係なかったのですが、このお兄ちゃんの行動が嬉しくて、話を聞いてうるうるしてしまいました。
隣りとの距離がこれだけ近いと挨拶もしないわけにはいきませんし、子供達も年が離れていても自然と一緒に遊ぶようになってきて、年上の子がその場を仕切ります。
私も震災前は顔さえ知らなかった同じ部落の人とも大分話をするようになりました。
またこれだけ近接して家が並ぶと、お互いに気遣いがないとなかなかうまくやっていけません。
大人にとっても子供にとっても、多少のトラブルはあれ、円滑なコミュニティを作るためには長屋は最適なんだと思います。
昔はそんな環境から『お互い様』とか『持ちつ持たれつ』っていう温かみのある地域ができていたんでしょうね・・・
仮設住宅に住む方も徐々に家を建てたりアパートを借りたりと減ってきてはいます。
なんかちょっと寂しくもあります。
体育館の避難所を出る時も、仮設住宅に入れる嬉しさもありましたが反面後ろ髪を惹かれる思いもありました。
避難所は1部屋に数百人で生活しているようなものでしたからね・・・
日本全国居住区は長屋しか建築できないことにしたら古き良き時代の日本が戻ってきそうな気がします。
*****(引用以上)******
素敵ですよね。友達が叱られて泣いている声を聞いてかけつけるお兄ちゃん。そして、自分達も悪いのだから謝りに行こうということになったなんて・・・。
非常に健全に子ども達の心が育っているのを感じました。
叱られて泣き叫んでも誰も来ないことは当たり前で、鬼の形相の母親一人と対峙しつづけるわが子、そして「泣き声が大きくて近所迷惑だ」と益々怒られてしまう都会のわが子は、ある意味哀れなのかもしれません。
他にも常々感じていることにもリンクしました。
たとえば、子どもは大好きな人が住んでいる家に、いつもピンポーンって訪ねたがります。その気持ち、純粋だと思います。
しかし都会の常識ではアポなしでいきなり行くのはNGなので、「また今度お約束したらね」などと歯切れの悪いことを言ってやめささねばならなかったり。
「なんで?」と子どもは納得できません。
私が子どもの頃は、団地の中の友だちの家といつでも行き来していたものですが・・。
小学生になると、仲の良い子と公園で待ち合わせて遊んだりはしていますが、名簿がないのが寂しいです。
個人情報保護法案って、元々セールスとか悪質な勧誘電話をなくすためにできるのだと思っていたけれど、そのような電話はいっこうになくならないのに、学校やコミュニティから名簿が消えてしまいました。
子どもの級友がどこの誰だかわからないというのは、やはり変だと感じます。
この記事にあるように、異年齢の子ども同士が自分の家の周りで近くで自然に遊ぶというのは、子どもや子育てする親にとって、とても素晴らしいことだと思います。
どこの段階で、どこのラインで私達は行き過ぎてしまったのか、また今の環境でよりよくするにはどうしたらいいのか、色々と考えさせられます。