必要な人に必要なだけ
生徒に教えるとき、心がけていることの一つです。
「必要な人に必要なだけ」。
生徒自身より教師の私のほうが、ヴァイオリンに関して大きな視野を持っています。
ここがもう少しこうなったら、これを教えて、それができたらここまで連れて行ける、と先を見ています。
ですので、往々にして私が犯す失敗が、「教えすぎる」、ということです。
生徒自身がそこまでの要求を持っていなかったり、問題意識を持っていないのに、先回りして「こうしなさい」と言っても、だめなんです。
また、それが数回なら修復可能ですが、数ヶ月もそのまま教え続けてしまうと、もう取り返しがつきません。
上手になるために、生徒に良かれ、と教師が思っても、生徒にその器がないときに無理やり詰め込んでも、器が壊れるだけなのです。
教室を辞めていった生徒が教えてくれたことです。
私の師匠はこのことについて、「生徒が求めてることしか教えられない。だから(教師というのは)いつも欲求不満なもの。生徒が考え始めたとき、初めて教えるのだ。(生徒が)考えるように持って行くしかない。」と言っていました。その「欲求不満なもの」という状態を受け入れなければいけないのだなあと、大変勉強になりました。
つまり、軸は教師ではなくて、あくまでも生徒。
生徒のために私は存在するのです。
生徒が毎回出した課題にどのように取り組んで来たか、レッスンで私が言ったことにどのように反応するか、このことを注視するようにしています。
生徒が来る前から、レッスン計画を立てて、「次はこれをやらせよう」と「予習」しておくことは大切ですが、やりすぎると悪いほうに転ぶこともあります。すなはち、生徒の些細なサイン、反応を見逃してしまうことがあるように思います。
次の曲に進むのにふさわしい時期かどうか、進むとしたらどちらの方面がいいのか、時に生徒のヴァイオリン以外の生活にも想像力を働かせなければなりません。
前に出した課題は適切だったかという反省も必要です。
レッスン計画には幾通りもの可能性があり、そのどれを選ぶかは、生徒に応じて選ぶ必要があります。
私としては、そのスキルを磨きたいと渇望しています。
生徒の出している音から、私の師のように、もっと様々なことを察することができるようになりたいです。
今、サードポジションに進む段階の生徒、ヴィブラートを教える段階の生徒を多く抱えていて、それぞれに合わせたメソッドを模索しつつ教えています。
ポジション導入は基本的に、私は篠崎ヴァイオリン教本3巻で教えますが、スズキのポジションエチュードも研究してみて、ある生徒にはこちらが良さそうなので使用しています。
私の教室では、すべての生徒が、ポジション、ヴィブラートをマスターし、ヴィヴァルディ「春」やアイネクライネぐらいのレベルの弦楽合奏ができるようになる、というのを目標にしています。せっかく縁あってヴァイオリンを習ったのだから、中途挫折者ゼロにしたいです。
ここまで弾けたら、「ヴァイオリンが弾ける」と胸を張って言えて、たとえ人生の途中で弾けない時期があったとしても、ヴァイオリンが、音楽が、一生涯の友となるのではないでしょうか。
最近かなりこの目標は現実味を帯びてきました。
もっともっと沢山の生徒を見られたら、すぐに色々なことがわかるのでしょうが、そういうわけにはいかず、経験が蓄積されるのにはとにかく時間がかかりますね。
だから、そういう意味で、私に10年以上も前から習いに来てくれている生徒に対しては、同志のようにも感じます。10年前の未熟な私に習ってくれて、率直にかわいそうにという気持ち、そして、私を成長させてくれてありがとう、という気持ちを持っています。
生徒の皆さんへ
レッスンの方向性や上達のスピードを決めるのは皆さん自身です。
皆さんが弾いてくること、質問してくること、話してくれること、そこから私はレッスンの方向性のインスピレーションを得ています。
受身ではなく、しっかりと、ぶつかってきてくださいね!
皆さんの素敵なヴァイオリンライフを応援しています。
幾通りも道を用意する、そのために教材研究も欠かせません。