教えすぎてはいけない?

いつも、教え方がこれでいいのか、自問自答しています。

生徒の反応一つ一つに学ぶことがあります。

最近も、いくつか、磨かれる出来事がありました。

私自身、たくさんの先生から、レッスンしていただいて、今があります。

生徒をいかに教えるかということで、私のオリジナルなことは何もなく、今まで教わった先生方の教え方を引き出しのあちこちから出してきて、実践しているだけだと感じます。

そうは言っても、そのどれもが、その先生のご人格と、その時の私の組み合わせだからこそ正しかったのであり、それをそのまま自分が生徒に当てはめられるものではありません。

また、その先生方同士で、言葉や方向性としては全く逆のことをおっしゃっていることも、多々あります。

生徒をもっともっと理解することが大切だと思いますが、なかなかこれが難しいです。

一つ学んだことは、「教えすぎてはいけない」こと。

教えすぎると、生徒は惨めな気持ちになり、混乱し、「自分には出来ない」と感じてしまいます。

見通しを言うのはフェアで親切だと思って、つい教えすぎてしまうのですが、それが必ずしも生徒のためにならない、ということも考えなければいけません。

その人が奮起して乗り越えたくなるぐらいのハードルしか、あえて見せない工夫が必要なのでしょうね。

生徒を月に2,3回レッスンするのは、お花に水をやるようなものだと感じることがあります。

水をやりすぎてもダメになってしまうし、水が足りなくても枯れてしまいます。

レッスン後、「あれを言ってあげればよかった」とか、「その後、あれはどうしてるかな。」と気になって、生徒に次のレッスンまでに連絡したくなることは結構あります。

でも最近は、それは余程のことがないと「しない」と決めて、自制しています。

いくら「生徒のため」と表面で思っていても、そこには巧妙に小我(スピリチュアリズムの言葉で、自分のエゴの意)が混ざっている可能性が高いからです。

どのみち、生徒は、レッスン室の外(=生徒が生きる世界)で、自分で前進するしかないのです。

次のレッスンに生徒が来てくれるなら、そのときにまた新たに、込めて教えます。

私のことを信じて通ってきてくれる生徒達が、私と共に、成長し、充実した人生を歩みますように。

私が自分の中の最良のものを生徒に与えられますように。

内観

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