素晴らしい新年の幕開け
昨年、このブログを始めたきっかけは、とにかく浜岡原発を止めたかったことです。
また、当時は、大手新聞社からテレビからほとんどのマスコミは、政府の「原発推進ありき」の発表を支持する報道ばかりでした。
実際どうなのか、自分なりに色々と調べるうちに、日本はやばいことになるのではないかと焦りました。
個人としてできること、と考えたときに、身近な人に伝えることと、ブログという表現を思いつき、とにかく細々と記事を書いていました。
始めは実名を隠してスタートし、のちに実名に切り替えました。
小心者の私は迫害など受けたらどうしよう、とビビる気持ちもあったのですが、当然ですが私程度のポジションの人間には何の迫害もありませんでした(笑)。
しかし、当時はそういう空気だったのです。
そこで、ブログに原発のことだけを書いても、普通の人が読んでくれないだろうし、どういう人が書いているのかというリアリティが必要と思ったので、自分のプライバシーや、日常的なトピックも織り込むように意識して書いていました。
その間には、浜岡原発が止まることになったり、報道も以前より中立的なものも目立ってきました。
当初は、放射線量を測るということもあまり一般的ではなく、「全都道府県にガイガーカウンターを」という運動をされている団体に寄付をしたり、自由報道協会に寄付をしたり、食品の汚染情報を掲載しているサイトをリンクしたりしていました。
ちなみに、その食品汚染情報のサイトも、今では、他の方法で情報が開示されてきたため、情報更新は停止されています。
アメブロでも、放射能や原発のことで多くの記事が見られるようになりました。
そんなことで、私のブログの意義も低くなってきたと思われ、これからどうするべきか、少し迷っています。
もちろん、今でも日本の現状に満足しているわけでも、安心しているわけではありません。
まだまだ推進する動きは根強く、メルトスルーしているかもしれない、誰も中を見ていない福島の原発に対して「冷却安定宣言」が出されたり、首をかしげることばかりです。
結局のところ、放射性物質を拡散させないということを徹底することは失敗に終わりつつあるようです。うやむやに拡散させる、後のことは考えない、福島の方々にとりかえしのつかない損失を強いているにもかかわらず、なかったことのように進んでいくのでしょうか。
かくいう自分も、同罪です。
なぜならば、息子の保育園で出される牛乳が、セシウムが検出されたこともある「メグミルク」だということがわかったのですが、内心飲ませたくないけれど、それを言い出せずにいます。
信頼関係を長い時間かかって築いてきた保育園の先生方と、このことで亀裂が生じないかと恐れる小我な自分がいます。
保育園で出されるそのメグミルクが危険かどうかを、私が調べることを諦めていることが一番問題なことかもしれません。
そして、「まあいいか」と思いつつ、実に数カ月もウジウジしており、その間息子は、選択の余地なく、安全かどうかわからない牛乳を飲んでいるわけです。
いつか、「飲ませないでください」と言えるのかな、それとも私も「うやむや」で行くのか・・・。はたまた、徹底的に調べるのか。
さて、タイトルの「嬉しいこと」とは、ブログのおかげで、小学校時代の親友だったE子ちゃんと繋がったことです。
E子ちゃんは隣の家に住んでいて、ヴァイオリンを弾いていました。私はそれにあこがれていました。その後お互いに引っ越して、自然に疎遠になったままでしたが、ヴァイオリンの道に進むことになった私は、E子ちゃんはどうしているのかが急に気になり、とても会いたかったのですが、見つけられずにいました。
それを、E子ちゃんの方から新年早々にメールをくれたのでした。
ブログを見てくれていたそうです。
E子ちゃんは神戸から遠くないところに、ご主人様と穏やかに暮らしておられることがわかりました。
ヴァイオリンも続けておられました。
E子ちゃんのメールには、素晴らしい言霊の数々がありました。
大我の心にあふれたメールでした。
すぐに夢中で返事を書いたところ、また返事をいただき、その中に、「2012年が素晴らしい幕開けとなりました。」という言葉がありました。
それをこの記事のタイトルに拝借しました。
思いがけずいただいたご縁というプレゼント。
これから、再びE子ちゃんとのおつきあいを大切に温めていきたいです。
この一件は、私のブログに別の意義を付加してくれました。
E子ちゃんのように、ひそかに私のブログを見てくれたり、楽しみにしてくれている人の存在を考えるという別の意義に気づきました。
しばらくそういう人のことを考えながら、続けて行きたいと思います。
(わが家のお正月の神棚です。)