ガラミアン・ディレイ式とハヴァシュ式の共通点とは

パガニーニを弾いていて、痛みはどんどん悪化していました

今回はとても聞き応えのある証言です。

ハヴァシュ先生のレッスンの内容や、その価値について、とても的確な説明がされていて、そのディティールには共感と感動を覚えました。

有名なプロ奏者であるお二人の証言をぜひご覧ください。

翻訳を下に書いています。

[ベッティーナ]

「カトー・ハヴァスについて少しお話しできることを、とても嬉しく思います。私の名前はベッティーナ・ムッソメリです。70年代から80年代にニューヨークで育ち、素晴らしい教育を受けました。ガラミアン先生やドロシー・ディレイ先生に師事し、素晴らしい基礎を得ました。

学校を卒業してすぐ、イタリアに渡り、イ・ソリスティ・ヴェネティというイタリアの室内オーケストラで新しい仕事を始めました。とても有名なオーケストラで、年間約200回のコンサートをこなしていました。私はそのほとんどのコンサートでソリストを務めていました。そして、そこで小さな問題が出始めたんです。カトー・ハヴァスがよく言っていた「痛みと不調」です。それはどんどん悪化していきました。

ある時点で気づいたんです。あれほど素晴らしい訓練を受けていたのに、この問題に対処する準備が全くできていなかったということに。これらの問題にどう取り組めばいいのか、まったくわかりませんでした。

そんな時、私は幸運にも、私たちのオーケストラの拠点があったパドヴァという小さな町で、カトー・ハヴァスに師事していたヴィオラ奏者の友人がいました。彼は『あがりの原因と治療法(「あがりを克服する」)』という彼女の本をくれて、オックスフォードに行って彼女に師事するよう勧めてくれました。本を読んで、とても興味をそそられました。

それで、ヴァイオリンの荷造りをし、彼女に電話をかけ、「レッスンを受けに行ってもいいですか?」と尋ねました。そうして、12レッスンコースの集中レッスンを1週間受けるためにオックスフォードに行くことになったんです。それが私の人生の残りの始まりでした。というのも、彼女に師事していなければ、今日私は演奏していなかったと思うからです。

彼女は、ヴァイオリンへの新しい視点をたくさん教えてくれました。子どもの頃、私がヴァイオリンについて本当に好きだったことを理解することに立ち返らせてくれました。実験として、まったく違うものとして見る方法を教えてくれたんです。そして、これらのテクニックはとても自然なものでした。本当に素晴らしい方法で、ヴァイオリンの弾き方を再び学ぶようなものでした。

7日間のレッスンの最後に、彼女は「何も変える必要はないのよ。ただ、物事について考えてみて」と言いました。そして、このメソッドを少し知っている人なら誰でも知っているような基本的なエクササイズを教えてくれました。朝、楽器を手に取ると、これらのエクササイズを練習し、それから片付けて、基本的には忘れてしまうんです。そして練習中に何か上手くいかないことが出てきたら、ノートに戻って「OK、何を応用できるだろう?何が効果的かもしれない?これはどう効果があるだろう?」と考えるんです。本当に素晴らしい経験でした。

これは、ドロシー・ディレイ先生から学んだ方法とも共通していました。彼女もまた、教え方がとてもソクラテス的でした。「私が言うからこうしなさい」ではなく、すべては実験することについて、なぜ物事が機能するのか、あなたにとって何がどう効果があるのかを見つけることについてでした。

私が教え始めた時、生徒たちには私が持っていたのと同じような問題を抱えている人が多くいました。これらの問題に取り組むことは、本当に道義的な義務だと感じました。そして、カトーが私に教えてくれたのと同じステップを、ほとんどの生徒たちに実践し始めました。

年月が経つにつれて、特に腱鞘炎や痛みの問題を抱えている生徒たちと取り組むようになりました。でも、私の教えのほとんどの部分で、カトーから学んだ概念の多くを使っています。

この方法、あるいは彼女が好んで呼ぶ「ニュー・アプローチ」の中で、私に最も響いた二つの側面があります。一つは、左手における「動く親指」の概念です。これは新しいものではありません。昔からの名手たちのヴィデオを見れば―ハイフェッツやオイストラフ、さらにクライスラーまで遡って見ても―彼らは皆、驚くほど動く親指を持っています。死んだように固定されているのではなく、本当に楽器を自由に動き回ることを可能にしているんです。これは私にとってまったく新しい概念でした。

突き出した親指という概念は、一部の人々にとって物議を醸すものだと知っています。私はそれを「何かの」親指としてではなく、ただ動く親指として、手に自由な動きを許す親指として考えたいと思います。彼女が与えてくれた多くのエクササイズは、ある意味で誇張されていました。それは、あなたの手とあなたの身体に、動けるんだということ、同じ場所に固定されているわけではないということを納得させるためです。

親指を上げて、指が下りてきて、それが固定されて、手の形が決して変わらない、という考え方。これは特に手の小さい女性にとって、本当に有害になり得ます。腕をここの下に入れるという考え方は、肩のすべての筋肉に、そして腕に下りてくる筋肉に、この信じられないようなストレスをかけます。

だから、親指を動かし、手を容易にし、手を動かすという考え方は、私にとって本当に革新的でした。そして、大量の圧力を軽減し、左手で抱えていた問題をすべて治してくれました。

これと、彼女の弓の腕の教え方が組み合わさって―肩が最初に開くという考え方ですが、ほとんどのヴァイオリニストは自然にそうしています。でも、その動きを実際に意識することがとても重要なんです。私はよく生徒たちに「弓はどうやって動くの?どうやって弓を引くの?」と尋ねます。多くの場合、彼らは手首から始めたり、肘から始めたりして、肩が開くということに気づいていないんです。

これは弓の腕の大きな力点です。もしそれを上げて持って、大きな音を出すために圧力をかけることを考えると、それはすぐに下の親指を巻き込んでしまいます。これは私たちが望まないことです。一方、腕の重みを弦を通して放射することを考えると、身体に力が宿ります。これは、力がヴァイオリンを通してどのように伝達されるかを説明する素晴らしい方法です。

そして、弓先で再び肩を開くことは、少し直感に反するように聞こえるかもしれませんが、これもまた信じられないほどの力点です。弓の最も弱い部分に最大の筋肉群を使うんです。なぜなら、これは直接背中につながっているからです。

人々はよく「演奏する時は背中を使いなさい」と言いますが、それは誤解を招きます。どうやって背中を使うんでしょう?背中は見えないし、何をしているのかわかりません。どうやって背中を使うんでしょう?一方、この動きは肩甲骨を開き、背中のすべての筋肉を感じることができます。それが本当に、弓の最も弱い部分に最強の筋肉群を活用することになるんです。

これはまた、ステージに立って、ステージの後ろまで音を届けるために、どの筋肉群を使わなければならないかという私の考え方も変えました。これらが私にとって最も大きな転機となった気づきでした。

たくさんの概念があります。重音の概念、乗客の指と主導の指を持つという考え方です。重音で二倍の重みをかけるのではなく、常に一本の指があって、他の二本は音を出すのに十分なだけ押さえる、というものです。これはバッハの演奏において革新的です。というのも、和音は非常に重くなりがちで、指板に手が張り付いてしまうことがあるからです。

これは、ディレイ先生が話していたこと―指を落として指板から跳ね返らせること、決して指板に張り付かないようにすること―と完璧に組み合わさります。この二つの概念は本当によく機能します。

そして、私が言いたいのは、ニュー・アプローチの素晴らしさは、他のメソッドに取って代わる必要がないということです。アウアー式弓の持ち方を学んだのなら、力みの問題を解決するためにそれを変える必要はありません。同じ弓の持ち方のままで、より大きな筋肉群を通して動きを理解する必要があるんです。ガラミアン式の左手でも、握りつぶさない限り問題ありません。

これらはすべて、どんなテクニックを使っていても自由を生み出す概念なんです。だから、これが本当の違いです。彼女は決して「こう弾かなければならない」とは言わず、「家に帰って、あなたに合うものを見つけなさい」と言ったんです。そして、これはあなたに合うものを見つけるために使える道具箱なんです。

ここでもまた、ディレイ先生も同じでした。彼女は常に質問をして、あなたから答えを引き出そうとしました。「私はあなたにこうしてほしい」とは言わなかったんです。この二人のメンターと働くことができ、自分の教えの中でそれを保ち続けようとすることは興味深い経験でした。そうすることで、そういった遺産が続いていくんです。

これらは自分のテクニックを経験する素晴らしい方法です。当時、私はボッティチーニやパガニーニなど、高いポジションの曲をたくさん弾いていました。そして、また例の、肘をギュッと下に入れるあれになっていました。結果、腕にたくさんの痛みがありました。そして、ヴィヴァルディの反復的なデタシェのストロークをたくさんやっていたので、右腕にも多くの痛みがありました。それはどんどん悪化していきました。

完全な腱鞘炎だったかどうかはわかりませんが、何人もの医師を訪ね、どこか悪いところはないかどうか神経の検査もしました。それは深刻な問題になりつつありました。そして私は、人生は短いな、と感じ始めていました。本当にヴァイオリンを続ける必要があるのだろうか?人生を楽しむべきじゃないか。」

[質問者(カレン)]

「一からやり直すのは嫌でしたよね。両親が学費を出してくれたわけですし。他に何ができるか、何をすべきか考え始めましたか?それともそこまでは考えないようにしていましたか?」

[ベッティーナ]

「ああ、いいえ、私は完全にそこにいました。感情的なレベルで本当に深く悩んでいました。腱鞘炎を持つ生徒たちと働く時、それが感情的にも繋がっているということがわかります。私も「自分はもう終わりだ」と思っていました。

そう、それは私の人生の重大な転換期だったのです。本当に演奏を辞めようと考えていました。なぜなら、うまくいっていなかったし、とてもストレスを感じて衰弱させられる状態だったからです。生徒たちと接する時、そしてカトーもそれを理解していました。

カトーの天才的なところの一つは、そういう状態の人の扱い方にありました。
「大丈夫よ、本当に。一歩ずつ進めばいいの。できるようになるわ。絶対に大丈夫。そして、それは楽しみながらできるのよ」とこんな調子で接してくれました。

一緒にヴァイオリンを「空飛ばせ」まくって、口を開けたり、歌ったり、手を叩いたり・・・すべての本当に楽しいことをして、「ああ、上手く弾かなければ」「ああ、完璧に弾かなければ」「ああ、指板のこの小さな点を正確に押さえなければ」という重荷を取り除いてくれたんです。本当に喜びに満ちた音楽作りの場所に戻してくれました。これは、「親指を上げなさい」とか「肩を開きなさい」といった技術的なことと同じくらい、問題を解決する上で不可欠だったと思います。

そして面白いことに、その喜びはリズミックパルスと結びついていて、そのリズミックパルスは音楽作りと繋がっていたんです。上向きの感覚を感じる喜びは、「一生懸命働かなければならない」という感覚とは対照的でした。

そして興味深いことに、彼女はハンガリー人であり、ロシアの指導法によく見られるような重圧感はありませんでした。「こう弾かなければならない」「痛みを我慢して弾かなければならない」「~しなければならない」といったものが、彼女にはまったくなかったんです。とても軽やかで、喜びに満ちていました。それが癒しのプロセスにとって本当に不可欠だったと思います。」

[ジョディ]

「私は誰かって?あなたは誰?こんにちは、私はジョディ・レヴィッツです。ヴィオラを弾いています。そして、ベッティーナの妻です。マイアミ大学のフロスト音楽院でヴィオラの教授もしています。その前は、サンフランシスコ音楽院でヴィオラの教授を務めていました。そしてその前は、イタリアに住んでいて、たくさんの室内楽を演奏し、イ・ソリスティ・ヴェネティの首席ヴィオラ奏者でした。

ニュー・アプローチを初めて知ったのは、ベッティーナがカトー・ハヴァスに師事しに行った時でした。興味深い時期でした。私たち二人はソリスティ・ヴェネティで膨大な量の演奏をこなし、多くの旅行をし、重要なホールでたくさんのソロを弾いていました。そしてベッティーナは痛みの問題を抱え始めていて、それが彼女をかなりストレスを感じさせていました。

そこで彼女はカトーのもとに行ったんです。そして戻ってきた時、彼女は別人になっていました。ヴァイオリンとの関係が変わっていました。歩き方まで、すべてが違っていました。それは驚くべきことでした。

彼女は私にもいくつかの洞察を共有してくれました。小さな洞察と呼ぶのは適切ではないかもしれません。なぜなら、それらは私の演奏も大きく変えたからです。ギヴィングハンドについて説明してくれたり、エクササイズや弓のエクササイズなど、すべてを説明してくれました。

弓に関しては、カトーのやり方は魅力的でした。正直に言うと、私にとって新しいものではありませんでした。私の弓腕は基本的にそのように機能していましたが、その方法で説明されるのを聞くのは啓示的でした。後になって、それは私を―そう願いたいのですが―良い教師にしてくれました。なぜなら、基本的にはガラミアン式の弓腕と同じ動きを、より有機的な方法で説明するための異なる語彙を持つことができたからです。それは本当に素晴らしいことでした。

より大きな意味で、私を大いに助けてくれたのは、ギヴィングハンドの説明でした。非常に短い第4指を持つヴィオラを弾く若い女性として、私はこれを克服するための多くの方法を教わりました。それらはすべて緊張と回内を含んでいました。たくさん回り込むように、そして伸ばすために、手を痛め、固くするためにできることはすべてするように教えられたのです。

私はジュリアードでそれをある程度克服していました。ドロシー・ディレイは私の左手のフレームを変えるのを助けてくれました。ウィリアム・リンツァーに1年間師事した後に出会った友人がいて、その友人は修士課程の最後の年にほぼ専属で第4指の再訓練に取り組んでくれました。それは大きな助けになりましたが、パズルの欠けているピースは、親指の動きでもありました。ベッティーナがそれを見せてくれ、手の概念を再び説明してくれました。

その後、私も手に関する本をいくつか読みました。そしてそれは、カトーがこのことについてどれほど正しかったかを裏付けるだけでした。

その数年後―正確に何年後かは覚えていませんが、2年か3年後だと思います―私たち二人は再び、カトーに会いに戻ったんです。それが私が彼女に会った最初で最後の機会でした。唯一の機会でした。

でも、私は本当に彼女に会うのが楽しみでした。なぜなら、ベッティーナの変化を見ていたからです。演奏に深く悩んでいた人が―素晴らしいキャリアがあって、世界中で演奏しているのに、どうして深く悩むんだろうと思うような状況でしたが、内側で痛みを感じているなら、それは本当に辛いことなんです―それが、本当に演奏を楽しみ、喜びを感じ、音楽とヴァイオリンと素晴らしい関係を持つ人に変わったんです。

だから、カトーに会うのがとても楽しみでした。私たちは彼女の哲学についてたくさん話をしました。それは本当に魅力的でした。なんといっても、彼女ほどの年齢になるまで長く教えてきた人なのですから。というのも、ベッティーナ、私が間違っていたら訂正してね、彼女は木を切るところから戻ってきたところだったんです。そして、木を切ることが、弓の腕と上腕の動きにとてもよく似ている、という話をしていました。

それは彼女をある議論へと導き、ある種の告白とも言えるものでしたが、彼女は日中行うどんな動作も、常にヴァイオリン演奏やニュー・アプローチに関連付けようとしているということでした。それは私に感染しました。今日まで感染し続けています。

私の生徒たちが私から繰り返し聞くことがあるとすれば―たくさんありますが―その一つは「実生活でしないことを、ヴィオラでやろうとしてはいけません。あなたの身体が間違っていると感じることを、私は決して要求しません」ということです。

完全に固まった上腕で、彼らが考えるマルテレを何であれやっている生徒たちと接する時、私は頭の中でカトーを思い出して考えます。「さあ、実生活で、肘を開いて上腕が肩で揺れない時って、いつかしら?教えてみて。例を挙げてみて。鉛筆を取ってみましょう。背中を掻いてみましょう。鼻を掻いてみましょう。腕を動かす時に何が起こるか見てみましょう。腕がどう動くか見てみましょう」

それで私は、プレイヤーとして、そして教師として、実生活でしないことはしたくないという場所に到達しました。身体に不自然なものを作り出したくありません。それが痛みを引き起こすことを知っているからです。

これが簡単に言うと、彼女の影響です。私はカトー・ハヴァスのシステム、ニュー・アプローチで始めた生徒を何人か教えました。モーガン・オショーネシーがその一人です。自然な演奏の仕方を完全にマスターし、魂から出てくる演奏をする人だとすぐにわかります。

私の教えの中で、カトーは毎日そこにいます。「これをしなさい、あれをしなさい」という指示としてではなく、演奏は自然であるべきだというホリスティックな考えとしてです。あなたの楽器から出てくる音は、あなた自身の声であるべきです。そして、どこも不快な感じがしてはいけないこと。そして、あなたの身体が自然にすることに反してはいけない、ということなのです。

 

 証言の中のハヴァシュ式のディティールについては、初見の方はわかりにくいかもしれませんね。それらすべては、私の「デジタルレッスン」教材で動画とともに解説しています。

アマチュア用
プロ、指導者用
ベッティーナさんとジョディさんのワークショップ動画はこちらです:

 

 

 

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