フェルデンクライス教師でもあるデヴィッド先生の動画

カトーとの出会いは私にとって驚くべき経験でした

世界のハヴァシュ式教師の証言の第二弾です。
日本語に訳しましたので、動画を再生しながらお読みください。

私はデイビッド・ダニエル・ボウズと申します。ヴァイオリンとピアノの訓練を受けて、大学時代にヴィオラを自分の楽器として選びました。サンフランシスコ・ベイエリアに住んでいて、主に古楽の演奏活動をしていました。フィルハーモニア・バロック・オーケストラやアメリカン・バッハ・ソロイスツ、その他のフリーランスのグループで演奏していました。今は音楽家であり、教師であり、フェルデンクライス・プラクティショナーとして活動しています。

カトー・ハヴァスのことを知ったのは、マーガレット・タイソンというヴァイオリニストを通してでした。彼女は後に結婚してマーガレット・タイソン・クラインになりました。彼女はサンフランシスコ・バレエ・オーケストラに入るためにベイエリアにやって来て、私たち二人はサンノゼ交響楽団で一緒に演奏していました。彼女の演奏を見ていて、私は本当に魅了されたんです。とても軽やかで、自分のやっていることを完全にコントロールしているように見えました。すぐに好奇心をそそられましたね。

それで、彼女と親しくなって、どんなことを知っているのか聞いてみようと思ったんです。すると彼女は「ロンドンでカトー・ハヴァスという方に師事したのよ」と言うんです。「それって誰?」と聞くと、マーガレットは「『あがりの原因と治療法』という本を書いた人よ」と。私は「わあ、すごい!」と思いました。というのも、私自身、あがりに悩まされていたからです。

それで、まずはマーガレットからハヴァス・ニュー・アプローチのレッスンを受けることにしました。6ヶ月後、十分な準備ができて、ロンドンに行ってカトーに師事することになったんです。

カトーと出会ったのは、私にとって驚くべき経験でした。彼女は、想像上のものであれ、実際のものであれ、身体的なものであれ、感情的なものであれ、あらゆるブロックを、あなたの人格丸ごとと関連付けて、そして彼女があなたの左手や右腕に触れる時の手の使い方を通じて取り除いたのです。これこそが、私が「癒しのタッチ」と呼ぶものなんです。

彼女は私がマーガレット・タイソン・クラインに習っていて、ニュー・アプローチの基礎を知っていることを知っていました。でも、すぐに私の腕を再び宙に浮かせるような感覚を見つけさせ、重みのない浮遊する腕を見つけさせてくれました。それは、肩を下げ、動きの源である背中に重心を分散させることに大きな違いをもたらしました。まるで生徒を彫刻するかのように、彼女の触れ方と手によって形作っていくんです。

私が「緊張すると本当にひどい問題が起きるんです」と言うと、彼女は「それは何かしら?」と。「手が冷たくなってしまうんです」と言うと、彼女は「まあ、dear、あなたは必ず湯たんぽを持って演奏会に行かなければいけませんわ」と言ったんです。その瞬間、私は「そうだ、湯たんぽが必要なんだ」と思いました。それは単に安心のためのアイデアだったのかもしれません。でも、特に冬の間は湯たんぽを持って行くようになりました。カリフォルニアでも寒くなりますからね。そうしているうちに、湯たんぽを持って行くこと数回で、演奏する時に手が冷たくなることがなくなったんです。

私たち少人数のグループがカトーと一緒に演奏した時のことを覚えています。それは彼女の古い友人の追悼式でした。その友人は彼女がヘルベックでワークショップをしていた時代からの知り合いでした。これが私が彼女と一緒に演奏した最初で最後の機会でした。確か私たちのトリオが始まって、何かを演奏したんですが、チラッと見ると、彼女はイギリスの教会の聖歌隊席に座って、本当に湯たんぽを抱きしめていたんです。

左手に音幅の形を歌い込むことは、私のあがりを克服するのに役立ちました。それは単なる気を紛らわすものではなく、目的を与えてくれたんです。なぜこれをやっているのか?本当に、本当に深く音楽に関わるために。

あがりに関して言えば、私の場合、実際に演奏している時に集中する何かがあって、その瞬間にいることが大きな部分を占めていました。あがりの多くは、自分が犯した間違いを振り返って、それが今やっていることに影響を与えたり、心が様々な方向に飛んでしまうことから来ています。

音楽学校の時、演奏中に真っ白になってしまって、何も覚えていないということがありました。カトーが私たちに与えた厳格な訓練、音名や音幅の形を実際に言うこと―音程を言うのは後から来ましたが、私たちは既に訓練された音楽家だったので、手の中に音幅の形を知っていました。ただの音、音、音ではなく、音程でしたから―そして、右腕の動きがすべてプログラムされていることで、今この瞬間に非常に集中できるようになり、それがあがりを克服する大きな助けとなりました。

はい、私の場合は、自分に対する否定的な注意を取り除く必要がありました。初期の頃、何か演奏しようと立ち上がると、「ああ、みんな私のことをどう思うんだろう?今日はどれくらいうまく弾けるんだろう?緊張しているかな?でも、みんな私のことをどう思うんだろう?」という具合でした。そこで自我(エゴ)が邪魔をするんです。でも彼女のエクササイズは、そういった破壊的な考え方への本当の対抗手段でした。

カトーはいつも作曲家の人生と時代を学ぶことを求めました。「彼は何をしていたの?歴史の中でどんな立場にいたの?」単なる年代だけでなく、本当に思慮深く、演劇的な方法で舞台と音楽を設定させ、これらの人々の生活と時代をとても明確にイメージできるようにしてくれました。それが私が古楽にとても興味を持つようになった理由でもあります。ある意味、私はタイムトラベルが大好きだったんです。これは私たちの間だけの冗談ですが、他の世紀を訪れることが本当に好きでした。彼女はそれをとても生き生きとしたものにしてくれました。

膝を柔らかくして、音楽に関連した優しいリズミックパルスを確立することは、私にとって啓示的な経験でした。ただパルスを感じること、あるいはオーケストラで椅子に座る時は、今みたいに椅子にもたれかかって座っているというより、椅子を(馬のように)乗りこなすのです。カトーはいつも「ああ、dear、椅子は磁石のようなものよ。あなたを掴んで離さないの。弾力のある、しなやかな背骨を持つことを妨げようとするの」と言っていました。今、私はフェルデンクライスの仕事でそれを使っています。最近は多くの人が座っている時間が長いので、骨盤の可動性を扱うフェルデンクライスのレッスンがたくさんあるんです。

カトーはよく「これは私たちのことじゃない、エゴのことじゃない」と話していました。いわゆる普通のトレーニングでは、上手くなければいけない、速くなければいけない、大きな音を出さなければいけない、優れていなければいけない、というようなことが多かったんです。でも、カトーはまったく反対でした。彼女は本当にエゴを捨てることを望んでいました。

それをもっと上手く説明する方法が思いつきません。ただ、練習の仕方、楽器との向き合い方、弓との向き合い方について、本当に本当に建設的であることを求めたんです。左手の音幅の形が右手に食べさせてあげて、統制している、という考えが大好きで、本当に素晴らしい言い表し方だと思います。

彼女が最初にしてくれたことの一つは、私が楽器を顎の下でバランスよく構えている時に、この付け根の関節に触れたことでした。これは私の場合、よく固まってしまう部分でした。指板を掴んでしまって、支点になっていたんです。彼女は私の個人的な経験の中で、楽器の構え方や、弓の持ち方、指板を掴んで指板の下に入り込んでしまう左手など、こういった支点がどこにあるかを特定する手伝いをしてくれました。

「音程のことと、音幅の形を使うことの効果について、あるレッスンで私が経験したことですが、誰か他の人が弾いていて、その時はサラという名前のチェリストがいたんです。彼女が弾いた時に気づいたのは、何かが一瞬にして変容して、突然、彼女が楽器を弾いているのが聞こえなくなったんです。それだけでなく、フレージングの中の音幅の物語を歌うことと、カトーの右腕のやり方、つまり相互に関連した右腕の動きの組み合わせが、別次元の音を生み出したんです。その生徒から純粋な音楽が溢れ出てくるような感じで、他の誰からもそんな音を聞いたことがありませんでした。」(インテビュアーのカレン先生)

カトーのイマジネーションは広大でした。「その調性は何色?嬰ヘ短調は何色?イ長調とはどう違う?同じ調号だけどそのスケールはどんな質感?例えば、ベルベットみたいに弾けるかしら?それともツイードを思い出させる?」「左手でその音をシルクにして」・・彼女には取り組んでいることに適用できる、本当にたくさんのイメージがありました。

また、音楽のフレーズの異なる色彩について、例えばウォルトンのヴィオラ協奏曲の冒頭。イ短調。「暗くて、少しハスキーな感じ」。ウォルトンのイ短調は、ヴィヴァルディのイ短調とはまったく違うんです。」

ダニエル・ボウズ

カトー・ハヴァスのことを知ったのは、マーガレット・タイソンというヴァイオリニストを通してでした。彼女は後に結婚してマーガレット・タイソン・クラインになりました。彼女はサンフランシスコ・バレエ・オーケストラに入るためにベイエリアにやって来て、私たち二人はサンノゼ交響楽団で一緒に演奏していました。彼女の演奏を見ていて、私は本当に魅了されたんです。とても軽やかで、自分のやっていることを完全にコントロールしているように見えました。すぐに好奇心をそそられましたね。

それで、彼女と親しくなって、どんなことを知っているのか聞いてみようと思ったんです。すると彼女は「ロンドンでカトー・ハヴァスという方に師事したのよ」と言うんです。「それって誰?」と聞くと、マーガレットは「『あがりの原因と治療法』という本を書いた人よ」と。私は「わあ、すごい!」と思いました。というのも、私自身、あがりに悩まされていたからです。

それで、まずはマーガレットからハヴァス・ニュー・アプローチのレッスンを受けることにしました。6ヶ月後、十分な準備ができて、ロンドンに行ってカトーに師事することになったんです。

カトーと出会ったのは、私にとって驚くべき経験でした。彼女は、想像上のものであれ、実際のものであれ、身体的なものであれ、感情的なものであれ、あらゆるブロックを、あなたの人格丸ごとと関連付けて、そして彼女があなたの左手や右腕に触れる時の手の使い方を通じて取り除いたのです。これこそが、私が「癒しのタッチ」と呼ぶものなんです。

彼女は私がマーガレット・タイソン・クラインに習っていて、ニュー・アプローチの基礎を知っていることを知っていました。でも、すぐに私の腕を再び宙に浮かせるような感覚を見つけさせ、重みのない浮遊する腕を見つけさせてくれました。それは、肩を下げ、動きの源である背中に重心を分散させることに大きな違いをもたらしました。まるで生徒を彫刻するかのように、彼女の触れ方と手によって形作っていくんです。

私が「緊張すると本当にひどい問題が起きるんです」と言うと、彼女は「それは何かしら?」と。「手が冷たくなってしまうんです」と言うと、彼女は「まあ、dear、あなたは必ず湯たんぽを持って演奏会に行かなければいけませんわ」と言ったんです。その瞬間、私は「そうだ、湯たんぽが必要なんだ」と思いました。それは単に安心のためのアイデアだったのかもしれません。でも、特に冬の間は湯たんぽを持って行くようになりました。カリフォルニアでも寒くなりますからね。そうしているうちに、湯たんぽを持って行くこと数回で、演奏する時に手が冷たくなることがなくなったんです。

私たち少人数のグループがカトーと一緒に演奏した時のことを覚えています。それは彼女の古い友人の追悼式でした。その友人は彼女がヘルベックでワークショップをしていた時代からの知り合いでした。これが私が彼女と一緒に演奏した最初で最後の機会でした。確か私たちのトリオが始まって、何かを演奏したんですが、チラッと見ると、彼女はイギリスの教会の聖歌隊席に座って、本当に湯たんぽを抱きしめていたんです。

左手に音幅の形を歌い込むことは、私のあがりを克服するのに役立ちました。それは単なる気を紛らわすものではなく、目的を与えてくれたんです。なぜこれをやっているのか?本当に、本当に深く音楽に関わるために。

あがりに関して言えば、私の場合、実際に演奏している時に集中する何かがあって、その瞬間にいることが大きな部分を占めていました。あがりの多くは、自分が犯した間違いを振り返って、それが今やっていることに影響を与えたり、心が様々な方向に飛んでしまうことから来ています。

音楽学校の時、演奏中に真っ白になってしまって、何も覚えていないということがありました。カトーが私たちに与えた厳格な訓練、音名や音幅の形を実際に言うこと―音程を言うのは後から来ましたが、私たちは既に訓練された音楽家だったので、手の中に音幅の形を知っていました。ただの音、音、音ではなく、音程でしたから―そして、右腕の動きがすべてプログラムされていることで、今この瞬間に非常に集中できるようになり、それがあがりを克服する大きな助けとなりました。

はい、私の場合は、自分に対する否定的な注意を取り除く必要がありました。初期の頃、何か演奏しようと立ち上がると、「ああ、みんな私のことをどう思うんだろう?今日はどれくらいうまく弾けるんだろう?緊張しているかな?でも、みんな私のことをどう思うんだろう?」という具合でした。そこで自我(エゴ)が邪魔をするんです。でも彼女のエクササイズは、そういった破壊的な考え方への本当の対抗手段でした。

カトーはいつも作曲家の人生と時代を学ぶことを求めました。「彼は何をしていたの?歴史の中でどんな立場にいたの?」単なる年代だけでなく、本当に思慮深く、演劇的な方法で舞台と音楽を設定させ、これらの人々の生活と時代をとても明確にイメージできるようにしてくれました。それが私が古楽にとても興味を持つようになった理由でもあります。ある意味、私はタイムトラベルが大好きだったんです。これは私たちの間だけの冗談ですが、他の世紀を訪れることが本当に好きでした。彼女はそれをとても生き生きとしたものにしてくれました。

膝を柔らかくして、音楽に関連した優しいリズミックパルスを確立することは、私にとって啓示的な経験でした。ただパルスを感じること、あるいはオーケストラで椅子に座る時は、今みたいに椅子にもたれかかって座っているというより、椅子を(馬のように)乗りこなすのです。カトーはいつも「ああ、dear、椅子は磁石のようなものよ。あなたを掴んで離さないの。弾力のある、しなやかな背骨を持つことを妨げようとするの」と言っていました。今、私はフェルデンクライスの仕事でそれを使っています。最近は多くの人が座っている時間が長いので、骨盤の可動性を扱うフェルデンクライスのレッスンがたくさんあるんです。

カトーはよく「これは私たちのことじゃない、エゴのことじゃない」と話していました。いわゆる普通のトレーニングでは、上手くなければいけない、速くなければいけない、大きな音を出さなければいけない、優れていなければいけない、というようなことが多かったんです。でも、カトーはまったく反対でした。彼女は本当にエゴを捨てることを望んでいました。

それをもっと上手く説明する方法が思いつきません。ただ、練習の仕方、楽器との向き合い方、弓との向き合い方について、本当に本当に建設的であることを求めたんです。左手の音幅の形が右手に食べさせてあげて、統制している、という考えが大好きで、本当に素晴らしい言い表し方だと思います。

彼女が最初にしてくれたことの一つは、私が楽器を顎の下でバランスよく構えている時に、この付け根の関節に触れたことでした。これは私の場合、よく固まってしまう部分でした。指板を掴んでしまって、支点になっていたんです。彼女は私の個人的な経験の中で、楽器の構え方や、弓の持ち方、指板を掴んで指板の下に入り込んでしまう左手など、こういった支点がどこにあるかを特定する手伝いをしてくれました。

音程のことと、音幅の形を使うことの効果について、あるレッスンで私に起こったことですが、誰か他の人が弾いていて、その時はサラという名前のチェリストがいたんです。彼女が弾いた時に気づいたのは、何かが一瞬にして変容して、突然、彼女が楽器を弾いているのが聞こえなくなったんです。それだけでなく、フレージングの中の音幅の物語を歌うことと、カトーの右腕のやり方、つまり相互に関連した右腕の動きの組み合わせが、別次元の音を生み出したんです。その生徒から純粋な音楽が溢れ出てくるような感じで、他の誰からもそんな音を聞いたことがありませんでした。

カトーのイマジネーションは広大でした。「その調性は何色?嬰ヘ短調は何色?イ長調とはどう違う?同じ調号だけどそのスケールはどんな質感?例えば、ベルベットみたいに弾けるかしら?それともツイードを思い出させる?」「左手でその音をシルクにして」・・彼女には取り組んでいることに適用できる、本当にたくさんのイメージがありました。

また、音楽のフレーズの異なる色彩について、例えばウォルトンのヴィオラ協奏曲の冒頭。イ短調。「暗くて、少しハスキーな感じ」。ウォルトンのイ短調は、ヴィヴァルディのイ短調とはまったく違うんです。」

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