回想録「あなたなんかが弾いたら皆の足をひっぱる」
23歳でヴァイオリンをはじめ、26歳で音大入学した私。
幸運にも、有名な先生にお習いし、充実した音大生活を送る中、ショックだった出来事がありました。
楽理系の先生の授業で、弦楽四重奏のデモンストレーションする有志を募集されることがあり、誰も手をあげないので、私はドキドキしながら手を挙げました。
そして、その曲の指導をお願いしたくてレッスンの先生に言うと、先生が蒼ざめ、
「あなたみたいなレベルの人が弾いたら、絶対にダメよ!
その授業を台無しにして、授業聞いている全員の足を引っ張ることになる。すぐ、断りなさい」
と言われてしまいました。
そこまで言われて弾けるわけはなく、後日楽理の先生に事情を説明してお断りすると
「え〜〜なんで?!そんな・・」と同情してくださりましたが、他のちゃんと弾ける先輩方のメンバーを集められて、授業行なわれました。
この経験は、下手ながらも意気揚々とやる気満々だった私を「しょぼ〜ん」とさせるには十分でした。
その後、常に自分が求められている水準を弾けるのかどうかを自問自答するようになり、それを必ずクリアして舞台に乗ろうと努力し続けました。
そして、私自身が教えるようになって、何度も、無邪気な生徒に同じようなこと言っちゃいました。
「この曲で発表会なんて、絶対ダメ」
「ここ弾けてないからカット」
「全く弾けてないから、合奏降りてください」
私としては、失敗したら生徒自身も可哀想、生徒のためにも良くない、と思っていました。
しかし、深層心理には、「そんな生徒を出演させて、自分がダメな先生と思われたくない」というエゴが100%なかった、とは言い切れません。
そして、そういうこと言われた生徒は、ヴァイオリンやめちゃう確立高いです。
その方が残念すぎます。
その後、続けていたらどんなことになるかは誰もわからないのに。
生徒には申し訳ないことをしてしまいました。
そもそも、こういうこと言う必要って、あるのでしょうか?
こういう思考って、演奏家としてプラスでしょうか?
ある瞬間の演奏がダメで生じる迷惑とか損害って、人が死ぬわけじゃないですよね。
いくら下手でも、聞いた人たちの人生がダメになる、とまでは行かないよね?
一方、そういうこと言われた人は、確実に、奏者としてメンタルに一生ダメージ受けます。
そして「十分に上手」たろうとする幻想を、一生追い続けることになるのです。
だから、弾きたがっている人を「下手だから」といって先生判断でやめさせることに大義なんてない、と今は思っています。
いずれにしても、生徒のやる気と、気づきのペースに寄り添わないと、何も本質的に教えられないのですから。
演奏の良し悪しを測る絶対的な尺度などないのに、指導者が自分がその権限と責任をもっているように感じることが悲劇を生みます。
元々、ほとんどの人は、幼少期の経験や社会的な規制から、「自分なんて無理」という思考で、そもそも手をあげない、人前で弾きたがらないのです。
むしろそういう人々を、楽器を使って演奏表現をすることにいざなうことに、もっと力を注いだ方が良いのです。
つまり、弾きたい人にどんどん弾いてもらって、弾く勇気が出ない内気な人を誘い出してもらえばいい。
そうすると、皆ハッピーになり、結果として演奏レベルも勝手に上がるのでは、と思います。
「自分なんかが弾いていいのか?」ではなく、「とにかく人に向かって弾かなきゃはじまらない!」のです。