追悼カトーハヴァシュ先生「あがりを超えて」インタヴュー

カトー・ハヴァシュ先生(2018年12月31日没)の偉業を思うと、「追悼企画」というにはあまりにもささやかなものですが、素晴らしい内容ですので、先生の声に導かれるように翻訳いたしました。
記事は、Charlotte Tomlinsonによる、カトー先生95歳当時のインタビューで、ちょうど私が先生と出会い、日本で本を出版した時期と重なります。
お読みいただけましたら幸いです。

【出典】これを翻訳した当時2019年当時は、元の記事はサイトで公開されており、音声も聞けたのですが、2024年8月現在は残念ながらページを見つけることができませんでした。
シャルロットさんの現在のホームページはこちら:
https://www.charlottetomlinson.com/

 


 

聞き手(CT):カトー・ハヴァシュさん、「Beyond Stage Fright(あがりを乗り越える)」にようこそ。

ヴァイオリニストであり教師として先生は「ヴァイオリンニューアプローチ(新学習法)」というものを開発されました。
それはヴァイオリンをやすやすと自然に弾くというアプローチで、それによって、たくさんのヴァイオリニストを力みや不安から解放してきました。

そして、そのように身体が自由になると、さらに感情的、精神的な緊張も解き放たれて、あがりを克服することに大きな効果をもたらすことを発見されました。

何冊もの本を書かれていまして、その一つは音楽家のあがりをテーマにしており、約40年前に出版されました。
95歳となられた今もまだ教えておられます。

はじまりは、ハンガリーで神童として世に出られ、コダーイ、ドホナーニ、バルトークといった音楽家たちの前でも演奏され、18歳のときにニューヨークのカーネギーホールでデビューされました。

はじめにお聞きしたいのは、この初期の頃のご自身のあがりの経験について、どのような発見をなさいましたでしょうか。

カトー先生(KH):そうですね、良い質問です。

小さい頃は全く、あがることなどありませんでした。
7歳のときに初めてのソロコンサートをしたのよ。その時言われたことは、何があっても弾き続けなければいけないということと、人々のことをただのキャベツだと思いなさい(笑)、ということでした。

そして、出てみると、一体なぜ彼らのことをキャベツと思わなければいけないのか、さっぱりわかりませんでした。
私は人々のために弾きたかったし、彼らを大好きだったし、良いところを見せたかった。

そしたら、その時、停電があったのです。

何があっても止まるなと言われていた私は、ピアニストがハンガリー語で「神様!なんてことでしょう!」と言うのを尻目に、最後まで弾き続けて、拍手をもらいました。
本当に嬉しかった。

私があがりを経験しはじめたのは、ブダペスト王立音楽院の特待生になった頃です。
私は最も年少だったから、上手でなければなりませんでした。
そのときまでは、ただただ大好きだったし、上手である必要もなかった。

実際上手だったので、18歳になって、あなたが言うように、カーネギーホールで弾いたのです。

しかし、その時、こんなこと続けられないな、と感じて、私は賢明にも、結婚して、子供を産み、演奏家の世界から完全に退きました。

このときに初めて考え始めたのです。
子供がいると弾けないですからね。
母親になれて、そして普通の人になれてすごく嬉しかった。

それで、思い浮かんだのは、どうして幼い頃見たハンガリーのジプシーは、あんなに楽しそうで、天使のように弾くのだろう、とね。

夏の間すごしたある村に、チコというジプシーバンドのリーダーがいて、大親友になったの。
もちろん、私はそんなときでも練習しないといけなかったから、小さな夏の家で、水着のまま自分の練習をしていたの。

そうしたら、彼の浅黒い顔が木陰に見えて、私の練習を聴いていたのよ。

私は気づかないふりをして、ヴァイオリンを構えて、パガニーニを弾いたわ。

そして夜に小さい宿屋で夕食を食べに行った時、そこで彼が弾いていたの。
私に気がついて、そして、天使のように弾いたのよ。

私は彼のように自由に弾けるなら、寿命を10年縮めてもいいと思ったわ。
そこには彼の心があった、歓喜があったわ。あの愛すべき笑顔を今でも覚えているわ。


彼の影響で、弾いている時、もしチコならどんな風に弾くのかなと考えるようになったわ。
そして気がついたの。

いいですか、私達ヴァイオリニストのあがりは、不自然な動きをしなければいけないところから始まります。

ヴァイオリンを構えると、大きな視覚的な錯覚が起こるのです。
無垢で優美に横たわっているように見えたヴァイオリンが、突然怪物のように、
黒くて長い指板を携えてきて、そこに手首を左に捻って指を押し付けなければならないのです。
楽器を掴んでいないと、落っことしてしまいそうです。
それはまるで怪物で、その上に弓も持たなければいけない。

私は幸運でした。小さい頃に始めたからこういう問題はおこらず、ただ大好きでいられたから。

そして私は、これを予防するためのエクササイズを編み出しました。
目の錯覚用も。

それで私が気づいたのは、もし身体が固くて不自然であれば、音楽を作ることは出来ないということ。

皆それをわかっているはず。

人々はものすごいテクニックを持っているし、上手に弾ける、でもそこに音楽がないの。
作曲家は死ぬの。そこに音があるだけで、音楽の魔法に欠けているのよ。

だから、音楽とは何かということを育てるべきなの。

嬉しいことに子供たちが大きくなって、私は自由になったから、本格的に教えだしたわ。
そして気づいたことは、指は手から動くのであって、指先から動くのではないということ。

実はデヴィット・メンデゥーサという指揮者と友だちになって、彼が教えてくれたのよ。
これがわかったときは、天にも登るような気持ちだった。
そして音楽のはじまりはここだと気がついたの。

つまり幅、音幅のドラマなの。

喜びに満ちた全音「ターラン、ターラン♪」そして悲劇的な半音「ターラン、パーラン♪」

そして、気がつけば、手の裏には結局3つの幅しかないということ。
そのスペースこそが大切であって、動きではないということ。

こうやって話してると何時間もかかっちゃうけど、とにかく私は予防のエクササイズを作りました。

それが今も教えているニューアプローチの誕生なんです。
今もこれを教えているんですよ。

そして、肉体的な自由を手に入れるのは始まりに過ぎないの。
まさにそこからが本当の勉強が始まるんです。

ご質問の答えになっているかしら?

CT:まさしく。

KH:続けていいかしら?

CT:お願いします!

KH: 要するに、人々はもう、どうしても上手に弾きたくて、音楽を忘れてしまうのです。
絶対に音を忘れないように、間違わないように、と心配します。

だから私の教育は、音楽から始めます。
歌とリズミックパルス(活き活きした脈動)です。

そして、リズミックパルス、と私が言う時は、拍のことを言っているのではなく、パルス(脈)なんです。

それぞれのパルスは次のパルスへと繋がり、そしてまた次へとつながる。
作曲家ごとに独自のリズムがある。
すべての詩人に独自の言葉があるようにね。

歌うときは、聞こえたように歌わないといけません。
だから、まず耳を訓練します。

そしていつの時代に書かれたかということ。生徒に作曲家の人生について想像させるのが好きです。
チョコレートケーキは好きだったかな?結婚はした?どんな人だったか?ってね。
いくつのソナタを書いたかというようなことではなくてね。
私達の仕事は作曲家の音楽を伝えることであって、作曲家を弾くというのではないのです。

そして、ヴェンゲーロフのように、まさに音楽を弾いて、人々の心に飛び込んで行けるというヒーローもいるわ。
これが私の目標であり、教えなのよ。

私のレッスンでは、時には2時間かけることもあります、
もう今は2時間じゃなくて1時間しかしていないけれど。

そうして生徒と勉強するときは、ヴァイオリンにさわらせません。
というのも、皆恥ずかしがりで奥ゆかしくて、声を使わないからなの。

どうやって与えるか、どうやってコミュニケーションするかを学ばないとだめなの。
人々には作曲家をそのスタイルどおりに歌って、楽器なしでマイムすることを教えているの。
そう、身体の中のことなのよ。

大切なのは、楽器は運搬人であり、通信装置にすぎないということ。
だから、左手に向かって歌って、音幅をバレーリーナのようにマイムさせるの。

すべての音幅は次へと繋がり、そしてまた次の音へと繋がっていくのであって、
ギュッと止めて揺らして良いヴィブラートをかけようというのと違うのよ。

私は皆に、「どうが間違ってください、間違ったらあなたのことが大好きになるわ。」とお願いします。

これが左手です。

その後、もちろん弓もあります。

それは内側から外側へと流れるのであって、ただ弓を握って上下に動かすというのと違います。

そして全ては横方向の動きであり、ずっとずっとずっと動き続けるのです。

そういう風にして次に来るもの来るものに没頭するなら、単純に、あがっている暇はなくなるのです。

あがりを取り除くことはできません、皆あるのよ。
ただそんな暇はないの。
だって次に来るものを期待し続けるのだから。

立ち止まって「私はうまいだろうか、出来るだろうか、覚えているかな、間違わないかな」
などと考える暇はないのです。

これが私についての、かいつまんだお話です。

CT: どうしてこれほどたくさんの音楽家があがりを経験するのでしょうか?

KH: さっき言った通りよ。
他の楽器のことはわからないけれど、
基本的に、皆、上手くないとダメだ、と思うからです。
そして、間違うのを恐れるからです。
そして歌わないことも大きいです。
内なる歌がないのです。
楽器は通信装置でしかないのです。

ホロヴィッツがある時、言いました。
「どうして皆がそんなに私のことを騒ぐのかわかりません。
私はただ聞こえて、指がそれを弾くだけなのに。」

音楽はそこにあるのです。
そしてそれが欠落しているのよ。
そうすると当然あがりがおこるわ。
ブロックされているのだから。

CT: 先生はクライスラーとハイフェッツについて書かれていましたね。

KH: ああ、そうなのよ、クライスラー!
いいですか、私はもうこの年だから、幸運なことにクライスラーを子供の頃に何度も聴くことができたのよ。

彼とジプシーたちがいなければ、私はこのインタビューに答えていなかったわ。
彼らは人を幸せにしたわ。

ところで、クライスラーのルックスは肉屋さんみたいでね、
彼が出てきたら、まずヴァイオリンを横に放り出して、聴衆のことをジーッと長い間見つめたのよ。
「誰か知り合いはいるかな?」ってね。

それから弾き始めたのだけれど、もちろん、魔法のようだったわ。
本当に魔法。

ときにはコンサートが終わっても1時間も帰らせてもらえないぐらいだった。

ハンガリーでは聴衆はとても熱狂的なのよ。
音楽的な国だったの。
残念ながら変わってしまったけどね。
私が子供の頃は恵まれていたわ。

CT: それと、ハイフェッツはいかがでしたか?
彼の演奏も聴いたそうですが。彼はどうやってあがりを克服したのでしょうか。

KH: それはわかりません。ただ、私が知っていることはね・・ある逸話をお聞きになりますか?

CT: ぜひ!

KH: ハイフェッツを聴いて私は怖いと思ったわ。
一体どうやったらあんな風に出来るのかわからないから。
感動させたのではなく、怖がらせたの。
もちろん素晴らしくて、王様だった。

でもね、彼のアシスタントの女性が私のアメリカのワークショップに来たの。
私は彼女をイギリスに招いて、私の12回レッスンコースを受けさせたわ。

そしたら彼女がイギリスにいる間、ハイフェッツが毎日彼女に電話してきたの。
自分のアシスタントが他人のレッスンを受けるのが耐えられなかったのね。

彼女が言うには、ハイフェッツは毎朝起きたら、生徒のレッスンをする前に練習をしたそうよ。

とっても不幸な人だったの。
ヴァイオリンの犠牲者よ。

でも、王者であることには間違いないけれどね。

CT: 彼は秘めた精神的問題をかかえていたのかもしれませんね・・・。

KH: そうね、そうでしょうとも。
まず、それに間違いないと思うわ。

60歳で弾くのを止めてしまったのよ。
彼に痛みや疼きがあったことを確信しているわ。

だから彼は人を感動させなかった。
彼は崇拝を得たけれど心は得られなかったのよ。

CT: それは、まったく対照的ですね。

KH: そうね・・・ただ、これだけは否定できない、彼は王者だった。
誰もその座を奪うことはできないわ。

CT: 練習についての考えをお聞かせてください。
そして、どうしたら練習によってあがりを克服できますか?

KH: まあ、よくそれを訊いてくださったこと。
なぜなら、練習とは、死んでいることよ。

私達は間違いを練習するの。
繰り返し繰り返し。

最後にはちょっとはよくなったかに見えるけど、朝になると元の木阿弥よ。

だから私のアドヴァイスは、とにかく歌って歌って歌うこと。

窓に向かってでも歌う、絵に向かってでも歌う、いつも外に出すの。
想像上の聴衆に向かって歌う、想像した聴衆に向かって弾く。

もう一つの問題として、我々ソリストはとても孤独な生活をしているでしょう。
それでいて突然たくさんの人の前に出て行って、今すぐに演奏を始めろということになる。

だから、常に誰かに向かって弾くということに慣れていなければいけないの。

通りがかりの人、郵便屋さん、外に向かって、出して、出して。そして。

楽しむことはすべての基本です。

生徒には、もし予防のエクササイズを楽しまないのなら、意味がない、って言うわ。

要は、作曲家の使者となることがいかに特別なことかということよ。

CT: あがりにひどく悩む音楽家にどのように声をかけられますか。一番のポイントは何でしょうか。

KH: 前に言ったようなことです。
そうね、実際あがりは子供の頃に始まります。

なぜなら上手であれば愛されるからです。
上手であればご褒美のお菓子がもらえる。
上手である、ということがすべての(あがりの)元となります。
なぜなら、そうなるとたちまち、人に与えるということから遠ざかるから。

それは間違った態度なの。
だって、言ってみればすべての人々には善良な心があるのよ。
皆いい人なの。

私はすべての人には才能が備わっていると信じているの。
もちろんレベルは様々だけれどね。

でも、その才能をもしも発揮しなかったら、自分の中で恐ろしいことが起こるのよ。

私は教える中で学んだんだけれど、多くの人は自分のことを過小評価しているの。
自分が嫌いなの。

これはとても大切なこと、自己肯定感、私はこれが好きだ、だからこれをやるのだ、というね。

本当は自分が自分の名医であり弁護士であり、何でもになれるはずなの。

音楽をやるのは、自分の中に音楽があるから。

それなのに、それを表すことが出来なかったら、それはこっぴどくあなたを罰することになるのよ。

才能とは「私って才能ある!」とかそういうことではないの。
才能には責任が伴うの。
もしも才能を外に出さなかったら、あらゆるひどいしっぺ返しが来ます。肉体的だけではなくてね。

だから私はこれを「ニューアプローチ」と呼ぶのであって「ニューメソッド」とは呼ばないの。
どうやって音楽にアプローチする(行き着く)のかということだから。

CT: 私がお聞きし漏れたことで、おっしゃりたいことはありますか?

KH: 楽むことよ!楽しんで、楽しんで、楽しんで、そして与えてください。
エネルギーを与えて。リズミックパルスと歌うこと、そして、スウィングして、歌って、歌って、楽しんで・・・与えて!

CT: カトー・ハヴァシュさんでした。本当に本当にありがとうございました。お話できてとても楽しかったです。

KH: どういたしまして。こちらこそ、ありがとう!




【出典】これを翻訳した当時は、元の記事はサイトで公開されており、音声も聞けたのですが、今は残念ながらページを見つけることができませんでした。
シャルロットさんの現在のホームページはこちら:
https://www.charlottetomlinson.com/

※CT: Charlotte Tomlinson
 KT: Kato Havas

(c) 2018 Charlotte Tomlinson. All Rights Reserved
Japanese translation(c)Chisumi Ishikawa 2019


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追悼カトーハヴァシュ先生「あがりを超えて」インタヴュー” に対して5件のコメントがあります。

  1. 木下知子 より:

    こんにちは!
    この記事をシェアして下さってありがとうございます。とても心に響きました。
    随分前にカトーハヴァシュに興味を持ち本を読んだりしていましたが、その頃はまだ充分に理解出来ていなかったのかなと。
    その後私なりの方法で音楽を楽しむことや、音楽をする楽しみ、カトー先生のおっしゃっているような天使のように…というようなことがいかに私にとって大切かということに気づきました。
    いまも、より自由に楽しくということに向かって、即興をやったり、色々試行錯誤?を楽しくしています。
    長年オーケストラでも弾いているので、未だ色々囚われることがあったりしますが、音楽のフローにフォーカスするべくチャレンジしています。
    今、この記事に出会えたこと、これまでのことが間違ってなかったのだなぁととても嬉しく感じでいます。
    ありがとうございます!

  2. 石川ちすみ より:

    23歳からヴァイオリンを初めて音大に入り、演奏活動をしていた私が、この頃のハヴァシュ先生のレッスンを受けて、どのように衝撃を受け、どのように変貌をとげたのかについては、「ハヴァシュ式デジタルレッスンby石川ちすみ」のレッスン内で回想、記録しています。

  3. 石川ちすみ より:

    木下さん、はじめまして!
    嬉しいご感想をいただき、ありがとうございました。
    お役に立てて何よりです。
    カトー先生のお言葉は、本当に私たちに、音楽の本質的なこと、ヴァイオリンで気をつけなければいけない、大切なことを思い出させてくれますよね。

  4. 村田 忍 より:

    素晴らしかったです。お会いしてみたかったです。

  5. 石川ちすみ より:

    お読みいただき、コメントをありがとうございました。
    素晴らしい先生でした。

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