【追悼】「あがりを乗り越えて」カトー・ハヴァシュインタビュー(1)
95歳のときのカトー・ハヴァシュ先生への貴重なインタビューが公開されています。
http://www.beyondstagefright.com/kato-havas/
日本語に翻訳しましたので、毎日少しずつアップしたいと思います。
上記サイトで先生のお声を聞きつつ、お読みいただくといいですね。
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CT:カトー・ハヴァシュさん、「Beyond Stage Fright(あがりを乗り越える)」にようこそ。ヴァイオリニストであり教師として、先生は「ヴァイオリンニューアプローチ(新学習法)」というものを開発されました。それはヴァイオリンをやすやすと自然に弾くというアプローチで、それによって、たくさんのヴァイオリニストを力みや不安から解放してきました。そして、そのように身体が自由になると、さらに感情的、精神的な緊張も解き放たれて、あがりを克服することに大きな効果をもたらすことを発見されました。何冊もの本を書かれていまして、その一つは音楽家のあがりをテーマにしており、約40年前に出版されました。95歳となられた今もまだ教えておられます。はじまりは、ハンガリーで神童として世に出られ、コダーイ、ドホナーニ、バルトークといった音楽家たちの前でも演奏され、18歳のときにニューヨークのカーネギーホールでデビューされました。はじめにお聞きしたいのは、この初期の頃のご自身のあがりの経験について、どのような発見をなさいましたでしょうか。
KH:そうですね、良い質問です。小さい頃は全く、あがることなどありませんでした。7歳のときに初めてのソロコンサートをしたの。その時言われたことは、何があっても弾き続けなければいけないということと、人々のことをただのキャベツだと思いなさい(笑)、ということでした。そして、出てみると、一体なぜ彼らのことをキャベツと思わなければいけないのか、さっぱりわかりませんでした。私は人々のために弾きたかったし、彼らを大好きだったし、良いところを見せたかった。そしたら、その時、停電があったのです。何があっても止まるなと言われていた私は、ピアニストがハンガリー語で「神様!なんてことでしょう!」と言うのを尻目に、最後まで弾き続けて、拍手をもらいました。本当に嬉しかった。
私があがりを経験しはじめたのは、ブダペスト王立音楽院の特待生になった頃です。私は最も年少だったから、上手でなければなりませんでした。そのときまでは、ただただ大好きだったし、上手である必要もなかった。実際上手だったから、18歳になって、あなたが言うように、カーネギーホールで弾いたのです。しかし、その時、こんなこと続けられないなと感じて、私は賢明にも、結婚して、子供を産み、演奏家の世界から完全に退きました。このときに初めて考え始めたのです。だって子供がいると弾けないでしょ。母親になれて、そして普通の人になれてすごく嬉しかった。それで、思い浮かんだのは、どうして幼い頃見たハンガリーのジプシーは、あんなに楽しそうで、天使のように弾くのだろう、とね。夏の間すごしたある村に、チコというジプシーバンドのリーダーがいて、大親友になったの。もちろん、私はそんなときでも練習しないといけなかったから、小さな夏の家で、水着のまま自分の練習をしていたの。そうしたら、彼の浅黒い顔が木陰に見えて、私の練習を聴いていたのよ。私は気づかないふりをして、ヴァイオリンを構えて、パガニーニを弾いたわ。そして夜になって、小さい宿屋で夕食を食べに行った時、そこで彼が弾いていたの。私に気がついて、そして、天使のように弾いたのよ。私は彼のように自由に弾けるなら、寿命を10年縮めてもいいと思ったわ。そこには彼の心があった、歓喜があったわ。あの愛すべき笑顔を今でも覚えているわ。
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※CT: Charlotte Tomlinson
KT: Kato Havas
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Japanese translation(c)Chisumi Ishikawa
続きはまた明日!