お中元、手紙、お見舞い、ご機嫌伺い、してますか

お中元や手紙など、労力のかかることをどんどん簡素化したり省略したりする風潮がありますね。

しかし、相手のことを思い浮かべながら品物を選んだり、自分がほしいものを横に置いてでも差し上げたいと思う心は、目には見えないけれど、大切なことではないでしょうか。

念というのはエネルギーとして確かに存在すると思いませんか?

念の力が侮れません。

だから、感謝などプラスの念を送ることは相手を助けることになります。

差し上げた物や金額ではなく、向けた心と労力が大切と思います。

同様に、手紙も、手紙が届いたときではなく、手紙を書いているそのときに相手に伝わっているそうです。

思い当たることありませんか?ある人のことを思い浮かべていたら正にその人から手紙が届いたとか。

相手が書いてくれたときに感受していたのです。

メールなどより、やはり手書きの手紙のほうが念が伝わりやすいのです。

やはり肉体を持つ身なので、さもありなんと思いませんか。

だから、もう会うことが出来ない人に伝えたい言葉があったり、亡くなった方へ伝えたい思いがあれば、手紙を書けばいいのです。

実際に手紙が届かなくても、その思いは書いたときに相手の魂に届きます。

私はそのように信じています。

逆に、厳しいものです。

例えばメールで美辞麗句や正論を並べても、その根本にある動機が「電話のタイミングが悪くて相手に嫌われたくない」という恐れだとか、自分の考えを「理解されたい」という利己的なものならば、悲しいかな、それは書いた内容以上に相手に伝わってしまいます。

面倒なことを敢えてしませんか。

動機が正しければ、その労力は決して無駄にならず、相手の人を助け、ひいては自分をも助けると思います。