劇団ひまわり「コルチャック先生と子どもたち」2
先日に続き
、別キャストの回を観に行きました。
アブラーシャ役のヴァイオリン、がんばっていました!よくやった!
二人ともこの調子で、千秋楽まで突き進んでほしいです。
この劇で扱われているユダヤ人虐殺という史実、以前は「何故??」と、全く理解できませんでしたが、最近、「橋のない川」を読んだりして差別がどのように仕組まれて、どういう人間の心に住みついて、どのような悲劇を生むのかを深く考えていたので、観劇しながら自分なりに理解しました。
自分よりある人々が劣等であると軽蔑することで安心する気持ちであったり、共通の敵を持つことで団結できてしまうことであったり、そういう人間の弱さを、権力者が利用して自分の基盤を強固なものにする。簡単にいえばそういうことなのではないか。
しかし、誰も止められなかったのか。
第二次世界大戦のナチスドイツによって、ユダヤ人であるというだけで虐殺されたその人数は600万人以上と言われているそうです。
「コルチャック先生」の劇中でも、ユダヤ人居住地区から「毎日6000人を移送せよ」とドイツ兵が命じるシーンがありました。
毎日6,000人が殺され続ける、ということを想像できるだろうか。
7月に大阪で観劇した、倉本聰さんの舞台 「歸國(きこく)」の中の台詞で、「たった一人の死にそれだけ騒げる、そういう平和な世の中をのぞんでいた!だが、これが一人でなく千人であったら、一万人であったら、そしてそれが何十年前の出来事であったなら、君らはどのくらい騒ぐんだろうか」「一人と一万、一万と十万、その差の量が実感できるのか」とありました。これを聞いた時には胸に「ぐさっ」と刺さる思いがしたましたが、このセリフを今一度思い出しています。
「歸國(きこく)」は2009年に初演された舞台で、終戦記念日にあの戦争中南の海で玉砕した英霊たちが東京駅に降り立ち、今の「平和」な日本を見てどう思うのかというお話です。
そこには、とてもとても大切なメッセージがたくさん、込められていました。
「便利とは何か。便利とは人間がさぼることだ。できるだけ体力を使わんということだ」「今の日本人は豊かと便利を勘違いしている」というセリフにも、ハッとさせられました。居住まいを正す思いでした。
人は死して死なない。戦争で亡くなっていった英霊たちの魂も今も生きています。
(余談ですが、江原啓之さんは、観劇された時、実際に英霊たちの姿を舞台上に視たと、日記に書かれていました。)
だからこそ、歴史を過去のことにしてはいけない。亡くなっていった人々の経験を無駄にしてはいけないと思います。
今回のコルチャック先生を見た後も、今を生きているのも奇跡であり、感謝を忘れないように日々を生きたいと、心から思いました。
子どもたちの世話ができる幸せ、共に生きられる幸せも改めて考えました。
劇中で、私が最も心打たれたセリフがありました。
収容所へ送られる日が近づく子どもたちに、コルチャック先生がみなしごが死んでいく劇をやらせたり、ステファが子どもたちの旅立ちの時の服を縫ったりすることに「なぜ闘おうとしないのか!」と詰め寄るエステルに、ステファが言います。
「それは違うわ。『死』は誰にでも必ずやってくる。いつかはわからないけれど必ず。そのとき、尊厳をもって『死』さえも迎えられる。そういう生き方をしたいの。」から始まる長い台詞、素晴らしかたです。
・・・・しかし、感動を胸に帰った電車で、事故で電車が15分ぐらい遅れてしまい、社内は混雑していた上に、乗り換えの時電車を間違えてしまいました。そこで、いつものようにイラつく自分に気が付いてしまいました。だめだ~。
電車というありがたいものがあるからこそ、混雑とか乗り間違えるとかのマイナスもあるのである!それを何をイラついてるんじゃー、さっき感謝を忘れない、と思ったばっかりなのに!!と自分に喝でした。
「コルチャック先生と子どもたち」は、まだチケットが残っている回もあるようです。
ぜひご覧いただきたいです。
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