叱られることの有難さ
私は演奏活動をしていたとき、師匠から社会性、プロ意識ということについて叩き込んでいただいたと感じています。
「謙遜は美徳ではない(できることはできると言う)」、「うやむやなことは即答せず時間をおいて回答する」、など社会人として当たり前のことに加えて、「1プルトの奏者はゲネプロ(本番通りのリハーサル)の始まる少なくとも15分前には席に着かなければならない(後ろの人が座りにくいから)」、「自分が出演させてもらう公演のチケットは最低でもギャラの分ぐらいは売らなければいけない」等など、あげればきりがありません。
自分も生徒を教えたり発表会を主宰するようになって、師匠のこの指導がいかに的を得たものか、実感します。
師匠に教わったことは、要するに、仕事をいただいたことへの感謝と、一緒に仕事をする人々に対する思いやりだと思うのです。
このような配慮ができることは、ただ単に演奏をするだけではない、大きな人間としての魅力でもあり、信頼という形で自分に帰ってきます。
師匠自身、プロ奏者として、いつも主催者や共演者に敬意を払い、自身の持てる力を最大限に貢献させる仕事をされています。
ですので、「○○さんでないとダメ」と指名される奏者です。
そして、弟子は、共通して皆とても信頼できる奏者で、それもひとえに師匠の厳しい指導の賜物と思います。
人はともすれば傲慢になります。
仕事をさせていただく場がなくなれば自分の仕事もなくなるのです。
周りを助けることは結局は自分を助けることになります。
しかし、自分の目先のことしか見えず、不平不満ばかりの人がいかに多いか。
そして、そういう人に限って、指導を受けることを避けたがります。
そのような人は、カルマの法則にて、経験から学ぶ道を行くのでしょう。