”幼少教育のむずかしさ(音楽・子育て雑談)”

 

良い記事を見つけました。

 

桐朋学園を卒業されて、ヴァイオリン教室をされている寿原宗人さんのブログで、子供を「音大に入れたい」と言うのは簡単だけど、それにはリスクがあるんだよ、というお話です。ご自身の体験や周囲を観察して、楽しくわかりやすく書かれています。

 

生徒の親御さんに読ませたい記事ですので、リプログさせていただきます。

 

ここに書かれていること、そのとおりと思うのですが、私が一流ではない普通の音大を出た経験から言うと、ちょっと事情が違います。

そういう音大では、もちろん、英才教育の人もたくさんいますが、中には17歳ぐらいになって進路を考える段になって、音大受験を決めて頑張った、という人がいたり、私のように学士入学の人も居て、わりと逃げ場がありました。

 

寿原さんが、書かれている、一流を目指すことの「リスク」は、勉強の世界でもあります。

私がヴァイオリンをしていなかった頃、短期間ですが、受験勉強の最先端を経験しています。トップ国立大学を目指してたけど落ちて、でもトップ私立大学を卒業したので、わかりますが、その競争の世界にいたがために、失ったことが確かにあると感じます。

社会に出てみて、な〜んだ、二流・三流とされる大学を出て、余裕を持っている人が本当に仕事ができるんだなあ、と感じたものです。

 

結果を出す、人より出来ることを常に要求され、それにむけて自分を駆り立てていたという経験を思春期にしてしまうと、成果主義がしみついてしまいます。いつも自分にコンプレックスを持つようにもなります。

例えば、変な話、マス目を見ると猛然と埋めたくなる(テストみたいに)とか・・・。

指示待ち的になるとか。

一番イヤなのが、時に、しっかり自分に落とし込めてないのに、言葉だけが薄っぺらく出てきてしまうこと・・・。

一切やらないか、とことんやるかの二者択一になるとか。

寿原さんも書かれている、「大嫌いになってやめてしまう」というパターンもこの一種でしょう。

集中力がついたことは役に立っているとは思いますが、やりすぎて極端に走るとか。

 

一流の音大を出た奏者と仕事をご一緒したときに、同じような哀しさの音楽ヴァージョンを背負われているのを感じたことが何度かあります。

そんな時、ああ、自分は大好きなヴァイオリンを、詰め込みではなく、自分がやりたくて、自分のペースでやってこれて、幸せなんだな〜〜、と思いました。

 

余裕って大事だなと思います。

しかし、世間的には技術水準はどんどん上がっていますので、子供の頃からトップを目指したいと一旦決めたら、余裕なんて言っていられず・・・という難しさを寿原さんは言われているのですね。

 

皆さんもよかったら、ご一読ください。