練習が目的化すると上手くならない

恐ろしく下手だった自分が、今曲がりなりにも人を教えたりできているのは、オケの1プルトで弾かせてもらったり、人前で一人で弾かなければならない仕事を一つ一つこなした時期の鍛錬があるからだと思っています。

その時期は、「このような仕事をやらなければならないことになった。しかし、今の自分の力量でどうやったら切り抜けられるだろうか。」ぐらいのぎりぎりの挑戦を常にやっていました。

そんな私を師匠が支えて、いつも寄り添い、適切な指導をしてくださいました。

人はせっぱつまれば上手くなります。

甲野善紀さんの本に、江戸時代の職人が、非常に高度な身体の使い方ができていたという話が多く出てきますが、そういう必要に迫られた状況で人は鍛錬されるものだと実感を持って思います。

レッスンに通って、レッスンで習ったことを真面目に練習をするというルーチンでは、人間なかなか上手くならないもののようです。

練習することが目的化しているからです。

できないことをできないまま先生のところへ持っていく、解決するのは先生、という心理で自分を甘やかしている状態です。

私も、学生時代はそうでした。

大雑把に言って、プロしか出せない音があるというのも、「義務」や「責任」という鍛錬のプロセスを踏んでいるからではないでしょうか。

でも、アマチュアだって道を求めるなら同じに出来るはず。

向上欲のある方は、ご自身の力量なりにプロ意識を持って、演奏という「仕事」を背負っていただきたいと思っています。

成長への近道です。

応援します!