静寂な時間を守る
テレビやスマホ、テレビゲーム等を見る時間が長いと、想像力はどんどん疲弊してしまいます。
常に後手に回って、出来上がったものに対して、作り手に意図されたように感情が反応するということが習慣化してしまうのは恐ろしいことです。
ルドルフ・シュタイナーは、100年も前にそういうことに警鐘をならしていて、シュタイナー学校では子どもにテレビを見せることは厳しく禁じられています。
そして、7歳までは「夢の中」=魂が現世にそまっていない状態なので、文字を教えたりすることも禁止で、代わりに音楽など、子どもの中にありあまっている想像力に呼応する教育をします。
なかなかこのような純粋培養は難しいことでもあるし、それだけに固執するのも成果主義に思いますが、こういう本質を理解しておくことは大切と思います。
そういう知識があったからというだけではありませんが、我が家では、まだアナログの頃にテレビを廃棄して、今に至ります。
うちに遊びにきた子どもの友だちは、リビングを見渡して「あれ?テレビがないね」とびっくりします。
(テレビの変わりに、カブトムシの飼育機と金魚の水槽がリビングの中心に鎮座しております。)
そうは言っても、うちの子たちも、眼を離したすきにパソコンで長時間YouTube見てたり、友だちのゲームをガツガツ長時間やるなど、どうしても受け身な遊びは中毒性があるようです。
でも、それは大人の行動を映し出しているのだと思います。
子どもは大人の真似をしているだけですから。
私たちはどうだろうか?
自分の精神をそまつにする生活をしていないか?
スマホを持たずに散歩する、自然の中でボーッとするなど、意識して静寂な時間を持ちませんか。
我々の場合、散歩のとき、心にヴァイオリンの曲を持って行けるのは素敵なことです。
心にありありと、その曲を聴いてみてください。
想像力が生き生きと息づいて来るのが楽しいです。
こういうのは無感動な反復練習より、ずっと大切なことです!