産経新聞2001年1月23日夕刊より
「不惑」の音求め続けて(記事全文)
尺八奏者 石川利光
いしかわ・としみつ 昭和36年1月8日、東大阪市生まれ。立命館大産業社会学部卒。琴古流尺八および古典本曲を田嶋直士、横山勝也に師事。NHK邦楽技能者育成会第37期首席修了。大阪府芸術劇場奨励新人。第3回全国邦楽コンクール奨励賞。米村鈴笙、岡田道明と尺八三本会「風童」を結成。大阪邦楽ゾリステン代表。国際尺八研修館常任講師。昨年9月、ソロCD「一管懸命」を発売。大阪府松原市在住。
◆ライフワークは福田蘭童
ステージの上に置かれたびょうぶに大きく「不惑」と書かれていた。八日、大阪・梅田新道のザ・フェニックスホールで第五回リサイタルを行った。この日は、まさに四十歳の誕生日。
「無我夢中で吹いているうちにそれが仕事となり”不惑”の年を迎えることができました。竹縁で巡り会った多くの方々に支えられ現在の自分があることを思うと、感謝の気持ちでいっぱいです」とプログラムのあいさつ。
この日は古典本曲の「息観」「古伝巣籠」、師の横山勝也の「惜春」、福田蘭童「月草の夢」「月光弄笛」「夕暮幻想曲」、そして地歌の名曲「八重衣」という構成。横山は武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」の初演者としても知られ、福田は映画、テレビにもなった「笛吹童子」の作曲者。
「若い頃は何でもやりたかったけど、今は古典志向です。音色も音の高さも自分で作る古典は難しく、奥が深いからおもしろい。福田蘭童はライフワークです。哀愁を感じるメロディーがいい」
◆大学の邦楽部でとりこに
尺八と出会ったのは大学のクラブ、邦楽部に入ってから。六つ上の兄がやはり大学で箏をしていたことも影響している。
「ロックやジャズが好きで、サックスをやろうと思っていました。兄に相談したら、尺八もおもしろいというので邦楽部に入りました。最初はすかすかしてましたが、工夫して音を出すこと自体がおもしろかった。コツが分かるまでが難しいんですが、わりとすぐ音が出たんです。四十人ぐらいいたクラブも居心地がよかった」という。
その兄、憲弘も箏の演奏家になり、埼玉・所沢に住む。サラリーマン家庭に育ったから、特に音楽と縁が深いわけではないのに、兄弟そろって邦楽のプロになった。
入部してずっと先輩に教わってきたが、三年生のとき、クラブの部長になった。「下級生を指導するならちゃんと習ったほうがいい」と大阪の田嶋直士の門を叩いた。四年生の時には田嶋が代表を務める邦楽の合奏団、関西音楽集団に入団した。「当時、学生のあこがれだった日本音楽集団を目指し、プロになろうという人たちが集まっていました。佐渡裕も指揮に来ていました」
◆サラリーマン生活も10年
そのままストレートには演奏家の道に進まなかった。卒業して製薬会社に就職。病院回りの営業を五年、事務職を五年と十年のサラリーマン生活を送った。二十六歳のころから横山に師事し、横山が教える岡山や東京へ、また三十歳で入ったNHK邦楽技能者育成会のレッスンで毎週火曜は東京に通う日々を過ごした。
「ボーナスは新幹線代に消えました。三十歳のときライブハウスで公演をしたんです。それで一回リサイタルをしたいと、三十二で会社を辞めました。多分このままでは悔いが残ると思いました。でも深刻に考えず、貯金を食いつぶしながらやっていければ。十年働いたから、だめだったらまたサラリーマンに戻ればいいというぐらいでした。実際知り合いに損保の代理店でもやったらどうか、と勧められました。」とひょうひょうとした話しぶり。
二足のわらじから専業に。実はアマチュア時代のほうが今以上、年間五、六十回は演奏していた。プロの尺八奏者は大阪では五、六人しかいない。「若手でちょこちょこ吹けたら声がかかるんです。まずプロでは食えない。周りからみたらよくやっているなと思うのでは」という。
脱サラの先輩としてアドバイスをもらった。「人生は短いですから好きなことをやらないと。サラリーマンをして人前でしゃべることは苦にならなくなりました。十年は回り道したと思っていません。それがあるから今に生きています」
◆理想は竹林の中の風の音
尺八はかつて普化宗の虚無僧の吹くものだった。読経として尺八を吹くため楽器ではなく、法器や法竹と呼ばれた。明治初期、普化宗が廃止され、箏や三味線と合奏するなど一般化していく。
「理想とするのは竹林の中を風が吹きぬける音で、雑音も音のうちのおもしろい楽器です。洋楽はノイズを排除して均等になるようにしています。洋楽と対極にある楽器です」
やはり横山勝也の音が理想だという。「すべてを包みこんだようなすごい音です。人間業とは思えません。先生をまねてまねて突き抜けたところに自分の音があると思います」
プログラムのあいさつの最後に「私はこれからも世界平和を希い、私自身の『不惑』の音を求め吹き続けて参ります」とある。 「私自身は尺八が好きだからやっているのですけど、尺八の音色で人の心がなごめばいい。でも一生惑うでしょうね」と笑った。
師匠の横山勝也の話
練習熱心で、そんなに年月をかけないで上達しました。師匠思いの好青年ですよ。うちの弟子たちはみな自由に活動しています。尺八は日本人が残さなければいけない文化です。大阪でプロとして活動しており、すでに、これからの道を切り開いていくと同時に古典を継承する一人になっています。あとは本人次第です。命をかけて頑張っているので、大事に見守って下さい。
文・江原和雄写真・竹村明
(産経新聞2001年1月23日夕刊より)