随筆石と竹「私の『一定』」

現代邦楽作曲家のパイオニアのお一人でいらっしゃる杵屋正邦先生の曲に『一定(いちじょう)』という尺八独奏曲がある。日本音楽の古典的音階、モチーフを踏襲しながらも、斬新な構成と印象的な音づかいによって人情の機微を謳い上げた名曲である。1970年に現人間国宝の山本邦山師の委嘱によって作曲され、現在も演奏される機会が多い。

私の所有する音楽教材の中に、作曲者自身による“『一定』の思い出”という作曲手記があり、そこに作曲の動機や曲意が載せられている。少々長いので大意を抜き書きさせていただく。

「山本邦山さんから尺八独奏曲の委嘱があり、構想を練っていた時期に舞踊協会から表彰を受けることになった。演奏をやめ三十年来作曲活動に専念してきただけにこの表彰は大変うれしいものであった。表彰を受け晴れがましい気持ちで家族と共に家に帰ってみると、飼っていた犬の具合が悪く、結局死んでしまった。家族ぐるみで可愛がっていたが、特に下の娘の慟哭が哀れで、それ以来、二度と動物は飼わなくなった。

昼の喜びと直後の悲しみ、人間の幸と不幸は隣合わせで、いつどうなるかわからないのが人生というもの。無常と喜び、これは人間の定めであり、即ち“一定”です」

初演は同年暮れに西ドイツで行われたそうであるが、アンコールでもう一度この曲を吹いたくらいの成功だったそうである。

 

さて、2013年10月5日は私にとっての『一定』の日であった。

 

午前中は今年から小学校に上がった息子の運動会を観に行った。1年生のかけっこは30メートル走。事前に配られたプリントに「1年生はゴールテープがあると、それを見た時点で減速するおそれがありますので、テープを使わずにゴールラインを通過した順番で順位を判定します」という趣旨のことが書かれてあった。

30メートル走はプログラムの4番目で、息子はその中の9組目だった。30メートルは1年生でも10秒足らずで走ることが出来、9組目といってもすぐにまわってきた。

ちょっと緊張して注視しているうちにスタートのホイッスルが吹かれた。赤帽を被った息子はスルスルと走り出し、何とトップでゴールラインを通過した。“おお、やった!”と歓喜の声をあげながらその後を見守っていると、息子はその後から走って来た女子にぶつかられ、もんどりうって倒れていた。今度は“ああ”と小さな声を漏らし、さらに観ていると、息子はよろよろと起き上がり、すでに同組全員が座っていた待機所へと向かって行った。すべての組が走り終わり、自分のイスへと戻ってきた息子は、まだ半泣きのような情けない顔をしていた。

あとで聞くと、初めてのかけっこでどこがゴールかわからなかったので、自分の順位はコケたぶんだけ遅れてしまったと勘違いしていたらしい。

しかーし、公式な記録では見事1等である。いつもドンケツか、最後から2番目が定位置だった私からは考えられない息子の韋駄天ぶりに、飛び上がりたいほど嬉しくなった。

 

午後からは京都へ、ピカピカの女性尺八奏者寄田真見乃(よりた・まみの)さんのリサイタルを聴きに出かけた。ご縁があり、今回のリサイタルに運営などのアドヴァイスを少々させていただいたこともあって、応援団のような心持ちで拝聴した。

独奏による古典本曲3曲と、地歌の「黒髪」と大曲「八重衣」という渋凄いプログラムである。練りに練った音、修練に修練を重ねたテクニック、それに天分を感じさせる歌心の加わった吹奏で、微塵の不安もなく見事に吹き切った。何が凄いと言って、これが23歳の女子のなせるワザだということである。この先彼女はどこまで進化するのだろう、どんな尺八吹きになるのだろう、と空恐ろしい気さえした。

舞台を終え、ロビーに立つ彼女は恥じらいを含んだフツーの23歳の女性に戻っていた。“よー頑張りましたね”とねぎらうと、“八重衣はめっちゃ緊張しました”と安堵した面持ちで応えてくれた。関西の女性尺八奏者の一人として貴重な存在である。これからも行く末を見守りつつ応援したい。

 

同じくこのリサイタルに横浜から和楽器店「あんてぃーくね色」の主人、石田さんが駆けつけられていて、“そのあと食事でもしましょう”と声を掛けていただいていた。出口でうろうろしていると石田さんと無事お会い出来、その後、助演で出演の横山佳世子さん母娘(もちろん佳世子さんが娘、念のため)とも遭遇。石田さんを含めた4人でお茶でもしましょう、ということに相成った。横山佳世子さんも妹分として私が応援している一人である。お母様を交え、久しぶりに色々な話題に談笑し楽しいひとときを過ごすことが出来た。ここまでは嬉しいことや楽しいことばかりで結構極まりない一日である。

 

その後、横山母娘と別れ、石田さんの案内で京都駅近くのホテルへ向かった。

“ここのバイキングがいいんだよね”と石田さんが教えてくださる。ふと手元を見るとなぜか石田さんは免許証を持っている。受付の係の男性に人数を訊かれ石田さんは“2人、これね”と免許証を見せた。受付の人が“かしこまりました、お連れ様もですか”とたずねた。私には何のやりとりかまったくわからない。石田さんはためらうことなく“はい”と答えた。すると受付の人はボーイさんに“シルバー2名様、お席にご案内して”と命じた。

ボーイさんに先導されながら石田さんは笑いを噛み殺している。“どうしたんですか”と訊くと、ボーイさんのいる間は無言を通し、席に着くなり“石川さんも60歳で通っちゃったよ〜”と嬉しそうに言った。

ガーン・・・・・! この店の料金システムには60歳以上のシルバー割引があり、何と私もそれに該当させられてしまった(?)とのこと。

私は近年にないショックと軽いめまいを覚えた。「えっ、僕が60、えっ、シルバー、えっ、還暦、えっ、12×5、えっ、おじいさん、えっ、僕はまだ52、えっ、えっ・・・」頭の中で60やらシルバーの文字やらがぐるぐる回っている。少々気を取り直して石田さんに“もし僕に証明書の提示を要求された時には何と対応するつもりやったんですか”と訊くと、“ああ、この人は証明書を忘れました”と答えるつもりだったとのこと。私は久しぶりに頭の中で“ギャフン”という声を聞いた。

 

昼の喜びと直後の悲しみ、人間の幸と不幸は隣合わせで、いつどうなるかわからないのが人生というもの。この日の出来事はまさしく私にとっての『一定』であった。

 

でも、料理もビールもメチャメチャ美味しかったから、ま、いっか。

 

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