随筆石と竹「よろこび」

2月はやっぱり逃げていく。

ついこのあいだ豆まきをしたと思っていたらもう末日である。28日しかない2月は「早い、(なので稼ぎが)安い、(おっとそれは)まずい」の三拍子である。おまけにこの冬は信じられないぐらい寒い。

しかーし、ありがたいことに私にとっての2014年2月は、ホットかつエキサイティングな一ヶ月であった。

まず、2月8日には盟友 岡田道明君のリサイタルが華々しく開催された。10年連続リサイタルの目標を掲げ、今回が目出たくその大願成就の10年目であった。

“そら、ダブコン(船川利夫作曲『複協奏曲』のこと)やらなあかんで”“今やらな出来へんで”尺八三本会「風童」の同志である米村鈴笙君と私が煽り、岡田君は決意した。彼が逡巡したのも無理は無い。その曲を上演するためには、最低でも箏が8〜10人、尺八が6〜7人、それに打楽器が2人は必要である。おまけにティンパニなども外せないため、その1曲だけで何十万もかかってしまうことになる。どこかの団体や自治体などの主催であったり、強力なスポンサーがいればそのような心配はないが、個人ですべての経費を負担することはよほど勇気と覚悟がいる。しかし、岡田君は決断した。さすがは炎のチャレンジャーである。

『複協奏曲』は、我々横山勝也の門人にとっては思い入れの強い特別な1曲である。横山先生の名演にうっとりし、誰しも一度はソロを吹いてみたいと希う曲である。今回、岡田君は相方の箏のソロに池上眞吾さんを選んだ。的確な人選だと思った。あと、バックには岡田君の人脈から関西在住の優秀なメンバー(ちゃっかり自分もその中に入れてますねん)が集まった。

池上さんが関東の人で、かつ超売れっ子奏者なので、リハーサルは2回と当日だけだった。それに指揮者もいない。私は“大丈夫かいな”と少々案じていた。

当日は日本に寒波が到来し、会場のある京都にもうっすらと雪が積もった。しかし、開演時刻が近づくにつれ雪は雨に変わりやがてとけていった。その日のリサイタルの成功を暗示するかのように。

大曲『複協奏曲』は当然ながら終曲に据えられ、その前にやはり彼自身にとって思い入れの強い『産安』『明鏡(三味線・杵屋浩基)』『上弦の曲(箏・横山佳世子)』の、それぞれにたいへんな曲が並ぶという、気合いの入りまくったプログラムだった。

いつもよりたくさんのお客様の中、そのリサイタルは大成功に終わった。どの曲も想いの込もった良い演奏だった。勝手に案じていたダブコンもその心配は杞憂にすぎ、本番が一番ホットにまとまった。

失礼を省みずに書くと、上手さからいえば彼よりも上手な若手プロやセミプロの方も少なからずいらっしゃる。しかし、彼の舞台はその真摯で誠実な人となりがそのまま伝わるあたたかい良い舞台なのである。

その10年のがんばりを労うべく、私は打ち上げでサプライズプレゼントを仕掛けた。出演者全員から何らかの贈り物を用意いただくようお願いしたのである。宴たけなわの頃、私は“プレゼントコーナー!!!”と声をあげ無理矢理にそのコーナーに突入した。金一封から前倒しのバレンタインチョコレート、そしてタイムリーな金メダル(もちろん本物ではない)や月桂冠(何とこれは本物!!)、はたまたホテルのアメニティグッズ(これはフェイントでその後にちゃんとしたものが用意されていた)などなど、様々なプレゼントの山が彼の前に出来、大いに盛り上がった。

2014年2月8日は岡田道明君にとって記念すべき結願の日となったが、同時に私にとっても忘れることの出来ない一日となった。もう四半世紀を越える友人として今後ますますの飛躍を願うばかりである。

 

その一週間後の2月16日には第11回石の会独奏会があった。今年は初参加2名、会友3名を含む31名が集い、日頃の成果を披露した。自賛ながらこの独奏会も10年を越え、和気藹々とした雰囲気の中にも緊張感が漲り、聴きごたえのある良い会になった。今回は特に、出演者それぞれがこの独奏会を自分たちの会として、自覚を持って取り組んでいる空気がそこかしこに感じられ、とても嬉しかった。

熱演につぐ熱演の連続であったが、この日の金メダルは自作の二尺七寸管を用い、暗譜で大曲『霊慕』を鮮やかに演奏された桜木 忠さんだった。また、恒例となっている反省会での私の講評も皆さん楽しみにされ、嬉しくありがたいことである。次の門人会は8月24日に決まっている。それぞれの更なる奮起を期待したい。

 

そのまた一週間後の2月23日には九州系地唄の名手、藤原明美さんの会が開かれた。昨年に引き続き2年連続でお声が掛かり、二つ返事でお引き受けした。今回の私の受け持ちは『黒髪』と『八重衣』。地唄のAとZとでも言えようか、地唄を習う人が初めに教わる一曲とほとんど最後に教わる一曲である。

『黒髪』は古典本曲で例えると『本調』のように簡素直観の「うた」であり、シンプルな音遣いの中に情感を織り込んでいくところが難しい。『八重衣』はスポーツにも似たような運動性を要求される曲で、古典本曲ならば『霊慕』といったところか、難易度は高いが合奏するとこの上なく面白い。

尺八吹きがこの二曲をプログラムに並べると、まず『黒髪』を先にして『八重衣』で締めくくる、という曲順が順当だと考える。しかし、この日は逆で『八重衣』『黒髪』の順だった(実はまだその前に『玉の台(たまのうてな)』があり、全3曲のプログラムでおました)。このあたりが歌詞をうたう「地唄びと」と「尺八吹き」の違いがあらわれていて興味深い。ところが、実際に私もこの二つの名曲を同時に勉強させていただくと『八重衣』よりも『黒髪』のほうが数倍難しく感じられ、その曲順に合点がいった。

今回も藤原明美さんの渋みのある唄に聴き惚れながら吹くという、至福の時間をすごさせていただいたのであるが、実は藤原さんは数年前に脳出血で倒れられ、手術、入院、そして(疑う余地もなく)懸命のリハビリで奇跡的な回復を果たされた方である。ご本人は“リハビリの病院ではもっともっと大変な方がたくさんおられ、私など軽いほうでした”と、さらっとおっしゃられる。しかし、そのご苦労やこれまでの闘い、ご努力は私などにはとても想像がつかない。厳しいところを通られてその病を克服された強い気持ちと、また地唄が弾けることのよろこびが、藤原さんの演奏に一層の深みを加えていると勝手ながら思う。地唄奏者としてはまだまだ若手、中堅の年齢でいらっしゃる。お身体に気をつけてこれからもますますご活躍くださることを一ファンとしても心より願う。

 

上記ご報告のとおり、この短いひと月に現代邦楽、尺八本曲、地唄と、私がとりわけ愛好するジャンルを週代わりで堪能し、慌ただしくも充実した時間をすごさせていただくことが出来た。

“いやあっ、尺八ってホンットにいいもんですね”

この感動、このよろこびを多くの人に伝える2014年(の残り10ヵ月)としたい。

 

 

 

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