随筆石と竹「恩師」
2014年8月28日から31日まで、岡山県・美星町において「国際尺八音楽祭発足20周年記念~横山勝也メモリアルフェスティバル」が開催された。
日本を代表する尺八家のお一人であられた故横山勝也先生が、尺八の更なる普及と発展を目指し、国際尺八研修館を設立され、美星町に居を移されたのは1988年(昭和63年)の暮れであった。
その前年、私は伊豆で行なわれた国際尺八研修館の合宿講習会に参加した。その場において初めて横山先生の生音を間近で耳にした私は度肝を抜かれた。「尺八とはこんなに凄まじい音がするものなのか」その時私は尺八を手にしてから8年ほど経っており、プロの音も何度も聴いていたが、横山先生の巨きな体躯から発せられるそれはまったく違うものであった。まさに次元が違っていた。
その音の正体、出し方をどうしても知りたくなった私は、その頃通っていた師匠に許しを願い、横山先生のところへもレッスンに足を運ぶようになった。今思えばなんとタイミングの良いことであったろうか。後世に名を残す稀代の名人横山勝也が先生の方から私の住む近くに来てくださることになったのである。それに加え、講習会時に「いつかは持ちたいです」とお願いしていた勝也銘尺八も、図らずも半年も経たないうちに私の元へとやってきた。それからは月一回の美星通いが楽しくて仕方なくなった。
第1回の国際尺八音楽祭が美星町で開かれたのが1994年、私が先生のところへ弟子入りしてから6年が経っていた。その時の私は脱サラしてプロになった翌年で、まだ尺八で食っていけるのかまったくわからない状態であった。今年と同じく8月の末に行なわれた音楽祭において、私はほとんど裏方を務めていたが、厳しい暑さと音楽祭の異常なまでの熱気をよく憶えている。当時の新聞記事を読み返すと“岡山県の人口6,600の小さな町に、延べ4,000人が集まった。最終日の講習会には約200人が参加し、うち一割以上が外国人だった”と記されている。「尺八とはこんなに凄い楽器なのだ。尺八でこれだけのことが出来るのだ」三日間に亘って尺八一色の時間を大勢の人々と共有した残像は消えることはなく、今なお私の感動の源泉、活動の指針となっている。
それからの20年は私のプロ尺八家としての人生とほぼリンクしている。ど下手で非力な私がようよう20年もやってこれたのは横山先生のおかげと言っても過言ではない。先生からは本当にいろいろなことを教えていただいた。
「君の尺八を聴く人が、その人の人生で一回きりの尺八になるかもしれない。そのことを思って吹きなさい。」
「無難な演奏は誰も望んでない、少なくとも私はね。」
「うまさに頼っちゃつまんないだよ。最後はうまいへたを超えたところで吹きなさい。」
「破綻を恐れてはいけないよ。常に破格を求めるんです。」
「楽に出した音はしょせん楽にしか聴こえないんだ。」
「いつもいいコンディションで吹けるとは限りませんよ。最悪の状態を想定して吹きなさい。」
まだまだ書き足りないが、先生の優しさとともにこれらの箴言の数々はいつも私の心の中にあり、私を鼓舞してくれている。
「国際尺八音楽祭発足20周年記念~横山勝也メモリアルフェスティバル」は、横山勝也伝承曲コンクール、連日のコンサート、興味深い講演会、そして定番の楽しく厳しい講習などなど、充実した内容で盛会の裡に終了した。そしてその四日間のフェスティバルを通してあらためて師の偉大さを実感した。
宮城道雄師の盟友内田百閒師は『宮城道雄は後世に伝へなければならない』という至言を遺された。
私は横山勝也先生の門弟として、何としてでも『横山勝也を後世に伝へなければならない』と思う。