随筆石と竹 「古典と現代」

7回目の「三ツ星会」が終了した。

 「三ツ星会」とは、細見由枝さん、竹山順子さんの絃方、それと尺八の私との3人で組んでいる、古典を研鑽する同人会である。毎回3人による三曲合奏(三味線、おこと、尺八の合奏)を2曲、そして、それぞれの持ち曲を1曲ずつ、というプログラムをお聴きいただいている。10ヶ月に一度の演奏の場を持つことにしており、今回が7回目なので、(10ヶ月×7=70ヶ月。70÷12=5.8333…。えーと5.83年ではよーわからんから)開始から丸6年近く経ったことになる。

 私は30歳を過ぎた頃から、尺八本曲や、地歌・箏曲などの古曲を勉強する会を持ちたいと強く考えるようになった。
尺八の方は、一年ぐらいの間に構成員(?)が比較的スムーズに決まり、23年前、私が31歳の時に「秋の夜長の尺八本曲」というタイトルの演奏会を立ち上げることが叶った。内容は関西在住の尺八家6名によるガチンコ勝負の独奏会である。記念すべき第1回目の演奏会を、大阪・梅田のカラビンカという怪しげなスペースで行なったところ、あまり広くない会場ながら目出度く満員御礼となった。そして、来聴下さったやはり怪しげな邦楽評論家(ごめんなさい)や尺八愛好者から、“企画がいいよ”“またやってください”とのお褒めのお言葉を多数頂戴することが出来た。調子に乗った私は、翌春に「長閑けき春の尺八本曲」というタイトルにして同様の会を開催した(命名は岡田さん)。その回も上々の評判で、またメンバー同士も刺激を与え合い、よいムードのうちに終了した。爾来、現在まで秋と春の年2回ずつの演奏会を持ち、あと2年で四半世紀を迎えるまでになっている。構成員はしばしばこの駄文にお名前を書かせていただいているが、岡田道明さん、倉橋容堂さん、志村禅保さん、永廣孝山さん、米村鈴笙さん(五十音順)、そして私である。感謝感謝。5名の同志の皆様、これからも身体の続く限りよろしくお願いいたします。

 さて、古曲を勉強する会も、尺八とほぼ同時期に構成員探しを始めたのであるが、絃の世界はいろいろあって発会には困難をきわめた。私が目星をつけた何人かの奏者も、調べてみると“この人とあの人は性格が合わないらしい”“あそこのお師匠さんは他の派の人との合奏を許さない”などなどの情報が入り、その都度断念した。直接お話をしに伺っても“そういう会はあの人とやればいいんじゃないですか”などと冷たく言い放たれたこともあった。まあ、今から考えると、私自身の信用がなかったことが、スカウト失敗の最大の要因ではなかったかと思う。

 「三ツ星会」の構成員のお一人である細見由枝さんと初めてお会いしたのは、1988年の第1回目の「えん」の演奏会であるから、もう今年で27年のお付き合いということになる。お互いに曲の嗜好等が合い、以前には「管絃浪漫」などの二人会を持たせていただいた。私にとっては姉のような存在である。もうお一方の竹山順子さんとは、最初の出会いは失念してしまったが、まだ10年経っていないぐらいのお付き合いである。初めて舞台でご一緒させていただいたのは、門人安田君のピンチヒッターでの「けしの花」だったと記憶している。三絃(三味線)、おことの技術や音色も素晴らしいが、何よりも私はその艶やかな唄に魅了された。それからは自宅が近いこともあり、門人の発表会などでお世話になるようになった。
古曲の同人探しに何度も頓挫し、ずっと放ってしまっていた私であるが、40代後半に差しかかる頃に“やはり三曲合奏もじっくりと勉強したい”という欲求が高まり、気合いを入れ直して構成員探しを再開することにした。当初は絃方、尺八共に複数名と考え、人選を行なった。しかし、以前と同じく私がお誘いを持ちかけても、“やるのはやぶさかではありませんが、あの方とは組みたくありません”などという声が聞こえてきたりして、それならいっそのこと、最小人員の3人でやってみよう、という考えに至った。それから一ヶ月くらい熟考して細見さん、竹山さんに同人会結成のお話しを持ちかけた。細見さん、竹山さん、それぞれ既に活躍のフィールドをお持ちで、わざわざ私と組む必要は無かったにもかかわらず、快く引き受けてくださり、私の20年越しの悲願の古曲同人会がようやっと産声を上げた。

 それからありがたいことに、今年で早くも7回目の演奏会を開催することが出来ている。この会は、構成以外は何ら縛りの無い会であるが、演奏はすべて暗譜(暗記)であるところが特徴といえば特徴である。絃方が古典を演奏する際、暗譜は特に珍しいことではない。それに対し尺八の場合、古曲を、本曲に対する外曲と位置づけ、楽譜を見て演奏するのが普通である。あるいは楽譜を見るのが礼儀だとする派もある。しかしこの同人会では、私も古曲を暗譜して吹くことにしている。自分が言い出しっぺという意地のようなところも少なからずある。あまりの大変さに毎回挫けそうになっているのが本音であるが、一旦覚悟を決めたことでもあるし、他のお二人に迷惑をお掛けしては申し訳が立たない、との気持ちもあり、気を強く持って臨んでいる。

 閑話休題、私が曲に取り組む(練習する)際、尺八本曲や古曲の古典曲と、現代作品に於いては、全く違うアプローチで行なっている。
古典曲は、出来るだけ早い段階から楽譜を見ないようにして、お手本となる、師匠や名人の演奏を丸々身体の中に入れるように心がけている。それに対し現代曲は、完全に楽譜から入り、出来るだけ参考音源を聴かないようにしている。これは正しいとか正しくないとかの問題ではなくて、私の志向の問題である。古典曲は先人から受け継がれてきた形や型を、そのまま次の代へ伝えることが私の使命であると考えるし、現代曲は作曲家のイメージを、如何に自分の音や技術で彩るか、ということが肝要だと考えるからである。
そして私は、この両方のアプローチを味わい、楽しむことが出来るのは邦楽器奏者の大きな利点なのではないか、と感じている。邦楽の古典には、その音色や技法に先人の智慧が詰まっている。それを現代作品に応用する試みは、“止揚”と言っては大げさすぎるかもしれないが、とてもエキサイティングな作業である。

 私は「三ツ星会」を始めてから、尺八という楽器が以前にも増して一層好きになった。“古典と現代”とはあまりにも言い古された表現ではあるけれども、その間を自分なりに往来し、尺八という凄い楽器の魅力を一人でも多くの人に伝えて行きたいと思う。

 

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