随筆石と竹 「ファイト!」
3分間はとても長い時間である。
生まれて初めてプロボクシングを観戦した。
先日、式典での演奏依頼をいただいたタクシー会社がボクシングジムの後援をされており、式典の担当者から「石川さん、今度ボクシングの試合があるんですけど行きませんか」とのお誘いを受け、ドキドキワクワクしながら体育館へ足を運んだ。
子供の頃から大のプロレスファンであった私は、中学生ぐらいから何十回となくプロレスを観戦してきたが、私自身意外なことにボクシングは初観戦であった。
今回お招きいただいた興行は、メインエベントが東洋太平洋タイトルマッチだったということもあり、客席に入った瞬間その観客の少なさに拍子抜けした感は否めなかった。しかし、リングの上はそんなこととは関係なく、気合と必死さが漲った、真剣な’どつき合い’の場であった。それはそうである。自分は相手を倒しに行くが、相手も自分を倒しに、どつきにかかってくるのである。一試合が終わるとまた一試合、淡々と続けられるその’どつき合い’に私はいつしか引き込まれていった。
何試合か観ていると、パンチ力そのものの強さや、強そうな雰囲気ではなく、技術の高い選手が勝利することがわかってきた。いくら手数を出しても相手の技術が高ければ見切られてかわされてしまう。相手の急所に的確にパンチを当てるのはやはり技術であり、それは正しいトレーニングによってのみ培われるものだと感じられた。
観ているほうにとって3分という時間はそれほど長く感じられないが、リング上で戦っている選手にとってはとてつもなく長い時間だと思えた。試合開始のゴングが鳴った瞬間から飛ばしていき、後半息切れして敗戦してしまった選手も何人かいた。自身のペース配分、相手との距離の取り方、試合の流れや構成をイメージして臨むこと、すべて技術である。それに気合を絡めていくのである。熱くなりすぎてもいけないが、熱くなければならない。
尺八にも通じることがたくさんあった。
自分はリングに上がる選手ほど準備、練習をして舞台や録音に臨んでいるか。昨年のリサイタルなどは私なりにそう言えるが、毎回自信を持ってハイと言えるかと問われればあやしいものである。それは、どついてくる相手がいないことからの甘えのようなものがあるのかもしれない。ミスをしてもリング上の選手ほど痛みを感じることがないからかもしれない。
恩師横山勝也先生は舞台であれ、録音であれ常に闘っておられた。
「私が一つだけ褒められることがあるとすれば、常に全力だったことですよ」
吹くことが叶わなくなった横山先生は少し寂しげにこうおっしゃられた。
ほんとうにその通りで、残された録音はどれも全部出し切っておられる様がビシビシと伝わってくるのである。
私もあとどれくらい吹くことが出来るかわからないが、今一度、気合を入れなおして尺八に向き合いたい。
今回のプロボクシング観戦は感動と興奮の時間をいただいただけではなく、多くのことを気づかされ、学ばせていただいた。機会をくださったK交通様、そして全力でのファイトを観せてくださった選手の皆様に心から感謝したい。