随筆石と竹 「国内尺八事情を少し」
前稿では海外へ展開している尺八について少し触れさせていただいた。ありがたいことに少なからず反響があった。
では、今回は国内での尺八事情はどうなっているのかについて少し記してみたい。
一部では”絶滅危惧種”の声すら囁かれている尺八であるが、実際にはその指摘は当てはまらない。
尺八を愛好する若者はたくさん存在し、首都圏に目を向けてみると、その中でもプロ尺八家、演奏家を目指す人は、予備軍を含めると優に100人を超えるのではなかろうか。最初はここにそのお名前を列記しようと試みたが、すぐに50人ぐらいは上げることが出来、また、漏れてしまう人には失礼に当たるのでやめることにした。それくらい若手の尺八吹きはいるのである。
今の若手はとにかく皆よく吹く。ボリュームはあるわ、音感は良いわ、それに加えてアドリブなども自在にこなす人もいる。その実力やパワーの一端は、年末のイベントとして定着しつつある「狂宴」というコンサートなどで窺い知ることが出来る。海外への広まりと合わせ、私は尺八の未来に対し全く危惧はしていない。
それではなぜ一方で”絶滅危惧種”という声が出てくるのか。
それは従来の、家元、宗家を頂点とした、免状取得を基としたピラミッド型のシステムが崩壊寸前であることと、地方における尺八人口の減少、という二つの実情から見た指摘である。
尺八愛好者の間で免状というものが殆ど意味を成さなくなってきている。私もまた免状不要論者である。免状を取ることで向上の励みとすることは否定しないが、私から免状取得を奨励することはしない。尺八を一つの楽器として自由に楽しめば良いと思う。
地方における尺八人口の減少、という点に於いては、くやしいが、私がテリトリーとする関西も尺八というジャンルにおいては一地方でしかなく、尺八愛好者の高齢化(毎年平均年齢が1つずつ上がる)、新規入門者が現れない、という現象は他の地方とあまり変わらない。こちらは喫緊の課題である。どこかの師匠のところへ入門するしないはさておき、尺八を手にする人を一人でも多く増やしていかねばならない。そこで問題になるのは、やはり尺八の取っ付きの悪さである。どんな楽器でも追求していくと奥が深いことには変わりはないと思うが、尺八はとにかく最初が難しい。音を出せるようになって少しずつ楽しくなるまでに相当な時間を要する。この時期をうまくフォロー出来なければドロップアウトしてしまうことになる。
ホームページ等で私の存在を知った方が、月に一人ぐらい体験レッスンに来られるが、残念なことに半数以上の人は”尺八ってこんなに難しかったんですね”と言って帰っていかれる。日々私なりに尺八導入のための良策を模索しているが、これと言った答えが出ていないのが実情である。「こんな方法があるよ」という方はぜひご教示いただきたい。
さて、優れた若手の尺八吹きのほうに話を戻すと、私が彼らに一つだけ注文、というか希望があるとすれば、もっと古典を吹いて(勉強して)欲しい、ということである。尺八の古典本曲というものは尺八にしか表し得ない音楽である。また、三曲合奏(三絃・箏・尺八)における優れた尺八というものも、他の楽器に置き替えることが出来ないものである。この点においては外国人で尺八に興味を示す人の方が嗅覚がすぐれていると私は思う。
かく言う私も、尺八を始めた十代の頃はあまり古典には興味がなく現代作品に興味があり、古典の面白さに開眼したのは二十代後半であった。
古典は難しい。尺八古典本曲や三曲合奏の尺八をそれなりのレベルで演奏するにはとても時間がかかる。しかし、現在私が古典(本曲と古曲)、福田蘭童曲に軸足を置いているのは、それらが、尺八でしか表現し得ない美しさ、強さを持ち得ているからである。
また、古典が土台になった演奏というものは他のジャンルの音楽を演奏する時にも、尺八特有のムードを醸し出し、スパイスの利いた表現になるものである。
我々の先輩が切磋琢磨して時代を切り拓いてくださった頃と、音楽性の高い若手(加えてイケメンが多い)が群雄割拠している今とでは、厳しさの質が違ってきているかもしれない。しかし、敢えて尺八で生きるという険しい道を選択する若者には心よりエールを送りたい。
同じ土俵に立っている私も厳しく楽しく、共に時代を突き進んで行きたいと願う。
全く同感し、支持します。学生時代(45年前)、超トッププロ演奏家に、「古典本曲を本当に、良い(楽しい)音楽と思って演奏されていらっしゃいますか?」 と質問して、困惑させた?ことを(恥ずかく)思い出します。
今は、「一つ一つの音の音質の違いやその落差、変化が尺八の生命であり、それらを高め、磨くことが練習(レッスン)」と、門人に諭しています。《笑》
山本観山様
コメントありがとうございました。
私自身も道半ばで偉そうなことは言えないのですが、やはり古典には他の種目では得られないような味わいと充足感を感じます。
自分の出来得る限りですが、それを次代の人へ伝えたいと思っております。
またお目にかかる日を楽しみにしております。
石川利光