随筆石と竹 「道」

6月にポーランドを訪れた折、首都ワルシャワでのワークショップを終えた後、現地の尺八愛好者アダムから声を掛けられた。

「先生はビールは好きですか?」
「大好き大好き、日本でも毎日飲んでます」
「では今夜は私がポーランドのビール道の店へ案内します」
”ビール道???”
訝りながら連れて行かれた店は、日本にも普通にあるようなパブだった。
「ここがビール道の店です」アダムは誇らしげに言った。
「ビール道って何?」と私。
「ビールをひたすら究める道です」とアダム。
よくよく周りのテーブルを見ると、皆ビールのジョッキやグラスを手にしているが、フードの類は一切置かれていない。

アダムの話によると、この店は国内外のビールを醸造されたままの状態で20種以上常備してあり、おつまみや食べ物は一切食さずに、ただひたすらにビールを味わう店だそうである。ずいぶん前に訪れた近隣のベルギーが地ビール王国として名高いが、ここポーランドもビールの醸造所は大小合わせると相当な数になるとのこと。店内は背の高いポーランドの若者達がいくつものグループで訪れ、1リットル以上は入ろうかという大きなジョッキをグイグイと傾けながら歓談していた。
私はアダムの勧めに従い、その日のおすすめビール10数種(銘柄)の中から4種類をチョイスするコースを選んだ。4種類の地ビールはそれぞれに個性的でとてもおいしかった。私はそれを飲み比べながら、不謹慎ながら”あゝ、このジョッキの隣に冷奴があればなあ”と思った。

 

はからずも彼の地ポーランドに於いて、私は”道”について考える機会を持った(なんと単純!)。半月ほどの滞在の後、日本に戻り、インターネットで検索していると、”道”について次のような記述があった。

道ー日本における価値観。哲学とも言われ、一つの物事を通じて生き様や真理の追究を体現することや自己の精神の修練を行う事。「残心」に代表される日本独特の所作や価値観を内包する。
武道 – 剣道・柔道・弓道・空手道など、芸道 – 茶道・華道・書道・日本舞踊など。

 

私が生業としている尺八も一つの”道”である。
実際に大阪発祥の上田流尺八は正式名称を「上田流尺八道」とする。
『夫れ尺八道は竹の如き心もて仁義禮智信五孔を堅く握り締め誠心を以って吹き貫くを謂う也』
これは上田流尺八道の流祖上田芳憧師が昭和22年に発表した“真髄文”と呼ばれるもので、流祖上田芳憧師(1892年〜1974年)は、尺八道を提唱するからには、それに対する哲学が必要との考えから作成されたとのこと。

私は所属こそ違えど、その哲学には大いに共感し賛同するところがある。
日々ことさらに”道”を意識して吹いている訳ではないが、私は尺八を”尺八道”として捉えて来たからこそ、今まで続けられて来たことは間違いない。

また、私が尺八に惹かれるのは、尺八が”楽の器”という貌だけでなく、精神的・宗教的な貌も併せ持っているところにある。現在の尺八の源流をたどると普化宗に行き着く。普化宗とは禅宗の一派で、その僧侶である虚無僧たちは座禅の代わりに尺八を吹いて経をあげたとされる。この時点では尺八は楽器ではなく法器であり、宗教的な道具であった。普化宗には「一音成仏(いっとんじょうぶつ)」という四文字からなる思想・真髄がある。この「一音成仏」は様々な解釈がなされているので、ここではその意味には触れずにおくが、尺八の一音に魂を込めるということでは共通であろう。

名も無き虚無僧たちによって吹き継がれてきた人間讃歌は吹くほどに私の心を捉えて離さない。私にとっての最大の師である横山勝也先生をはじめ、幾多の名人、名手達の一音の何と凄いことか。その一音には一つの道を究めようとした人間の魂が宿る。
私もそのような一音を出したいと痛切に希う。

 

楽をしてはいないか。常に全力で臨んでいるか。
自問、自戒しながら、一音に魂を込める営みを粛々と進めていきたい。

飽かず、焦らず、諦めず。清廉に、愚直に、私は私の”道”を進むのみである。

 

 

 

 

随筆石と竹 「道」” に対して2件のコメントがあります。

  1. 田村浩一 より:

    石川先生の真面目で真摯な考えに感動しました。自分も心したいと思います。8日に三峯山に行きます@jc。よろしくご指導下さい。

    1. admin より:

      田村さん
      いつも気にかけていただきありがとうございます。
      三峯は残念ながら参りません。また次回お目にかかる日を楽しみにしております。
      石川拝

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です