随筆石と竹「M R I」
ガー ガー コンコンコンコンコン ギーギーギー ウイーンウイーンウイーン
トントントントントン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ガガーッガガーッガガーッ キュンキュンキュンキュンキュン トントントントントン
“はい、お疲れさまでした”
7月某日、生まれて初めてMRI(磁気共鳴断層撮影装置)の検査を受けた。
きっかけは7月に入り、時折、頭の血管が《ドクン》という不快感を覚えるようになったことだった。それに、日に数回、右腕にしびれを感じるようにもなっていた。
“ちょっとこれ気持ち悪いわ。中風になったらかなわんし、いっぺんお医者さんに診てもらお”
そう決めた訳であるが、殆ど医者にかからない私は、こんな症状の場合には何科を受診すればよいのかわからずに数日思案していた。
大阪の稽古日に、電車に乗るため最寄り駅へ歩いている道すがら、脳外科のクリニックがあることに気がついた。その看板には「頭痛、めまい、しびれ、もの忘れ、生活習慣病。MRI検査」とあった。“ここや、ここや、ここですがなぁ”脳の《ドクン》も、右腕のしびれも忘れ私は快哉を叫んだ。
翌日、午前のレッスンを済ませた私は昼前にクリニックへすべりこんだ。
幸いにもクリニックはさほど混んではいなかった。問診票を記入し10分ほど待つと「石川さーん」とDr.からのコールがあった。Dr.は私と同じくらいの年代で優しそうな印象だった。問診票に目を通したDr.は“では両手を前にあげて私と同じ動きをしてください”“次はこのペンを見て動きを追いかけてください”などといくつかのテストを行った。そして“ここまでは問題ないようですので頸のレントゲンとMRIの検査をしましょう”と言われた。一度自分の脳血管の状態をチェックしたいと考えていた私は迷わずに“お願いします”と答えた。
MRIの検査室には順番待ちの方がいらしたので、先に頸のレントゲンを撮ることになった。正面からと横からの2枚のレントゲンを撮っていただきさらに待つこと数分、検査室から名前が呼ばれた。
MRIは、寝かされた被検者の上をアーチ形になった断層撮影装置が移動しながら画像を撮るというものである。放射能を使わず人体にはほとんど無害であるらしいが、かなりの騒音が発生する。そのため被検者はヘッドホンや耳栓を装着することになっている。今回の私の場合はヘッドホンで、そこからは耳触りのよいBGMが流れていた。しかしいざMRIが稼働するとそのBGMは機械音のためにまったく聞こえなくなってしまった。それくらい装置から起こる騒音は凄まじいものであった。冒頭の擬音はそれを私なりに文字に表したものである。
約15分で検査は終わり私は待合室へ戻った。院内に掲示されてあるお知らせなどを眺めていると再びDr.からコールがあり、私はちょっぴりドキドキしながら診察室へ入った。
画像を見られていたDr.は私に向き直り、“石川さん、脳血管は健康そのもの、脳の委縮などもなく問題ありません”とありがたい診断結果を口にされた。“よっしゃ!”私はDr.にうなずきながら心の中で叫んだ。次は頸のレントゲンである。こちらは残念ながら少々難ありだった。正常な人の頸椎が、顔を左、頭を右とすると、のど仏のあたりをトップにゆるやかなCのような形をしているのに対し、私のそれは逆のアーチになっていて、特に下の方の5番、6番、7番の隙間が狭くなっていた。
これは自分自身ある種納得のいくものであった。尺八には「メリ」という技法があり、それは首を大きく前へ曲げる、いわば覗き込むような動作を伴う。特に尺八古典本曲で頻繁に出てくる「大メリ」は、ほとんど限界に近いところまで首を押し下げねばならない。これを長年行なっているうちに頸が変形したのであろうことは想像に難くない。
“このレントゲンだけでは頸椎と右腕のしびれの関係はわかりません”とDr.はコメントされた。そして、“筋肉をほぐす薬と、しびれなどに効くビタミン剤を服んでしばらく様子をみてください”ということで、私は2種類の薬を手に脳外科クリニックを後にした。
私は何よりも脳血管に異常が無かったことに安堵した。頸の変形は言うなれば尺八吹きの「職業病」である。右腕のしびれの原因、頸との因果関係などはまだ何もわかっていないので決して油断は出来ないが、日々注意を怠らず自分の身体とうまくつきあっていくより他はない。
閑話休題、この7月は私にとって録音の月であった。
前号でお知らせした新作CD用の古典本曲9曲が3回、三ツ星会でご一緒している竹山順子さんの初CDの地歌1曲が1回、と、都合4回の録音があった。
一口に録音といっても、放送用の録音とCD作成のための録音は(私の場合)ずいぶん違うものである。例えばNHK-FMなどの放送用の録音は、ラジオから自分の演奏が流れ、それを聴いてくださる人がいらっしゃる、というイメージが湧くので、その人達に向けて演奏する、といった感じである。それに対しCDの場合は、どのような人が、どのような場所で、どのように聴いてくださるか、の想像がつきにくい。翻って、自分と向き合う、いわば自己との闘い、といった様相が強い。また、CDは演奏として盤の中に固定されてしまうので一層恐い。
演奏家やプロデューサーの意向によっては、数テイク録音して良いところを切り貼りして一つの完成形を作る方法もある。しかし、私は師である横山勝也先生の教えに従い、切り貼りなしの一発録音を守っている。“演奏の流れや勢いが大事なんです。少々キズがあったとしても切り貼りはしないほうがいいね。まあ、お金があれば全部買い取って燃やしてしまいたい録音もあったけれどねえ”と師は生前におっしゃられた。
しかし、その一発録音がヒジョーに難しい。テストを含め3テイクぐらいは緊張感や集中力が持続するが、それを過ぎると手も口も頭もくたびれてきて、とてもじゃないが人様に買っていただく録音など出来ない状態になってしまう。本曲の録音日のうち第1回目はなんとか予定通り3曲録り終えることが出来たが、第2回目は3曲のうち2曲がどうしてもOKレベルにならず、3回目に持ち越しとなってしまった。第2回目から一週間ほど後の第3回録音日は前回の宿題と合わせ全部で5曲である。さすがにこの間はお尻に火がついた状態になり必死で練習した。その結果、何とか5曲ギリギリOKを出すことが出来た。今回の9曲も相変わらず拙い演奏であるが気合い、情熱だけは存分に込めたつもりである。
なかなかに困難をきわめる一発録音であるが、この上なく面白いところもある。たとえば録音時の精神状態や思考回路が曲によってビミョーに違うところである。はっきりと細部までこう吹いたと思い出せる曲があったかと思うと、途中をどう吹いたかわからない曲もある。さらに嬉しくなるのは、何かの大きな力によって吹かせていただいている、と感じられる時である。その曲を吹かれた先達と意識が繋がったのではないか、と思える瞬間がやってくることがある。なかなかその瞬間が訪れることは少ないが、それはそれは至福の一時である。こういう感覚を味わうことがあるので録音という孤独な作業が続けられる、と言うことも出来る。
1枚分の録音を終えた現在は、マスターCDの制作を録音スタジオにお願いし、私自身はジャケットの作成作業と、もう1枚の新作CD制作のプランを進めているところである。
私にとってのMRIは Madamada Rakushitaraakan Ishikawa(まだまだ楽したらあかんイシカワ!)でもある。次の録音へ向けてもっともっと気合いを入れてがんばるのだ!!