随筆石と竹「尺八会」
”しゃくはちかい”ではなく”しゃくはちえ”、11月1日に開催した私の今年のリサイタルのタイトルである。
いつだったか、東大寺・修二会の文字を眺めているうちに修二会があるなら尺八会があってもいいだろうと思いついた。
このタイトルを付けて、これまで温めていたアイデアの内の一つを実現することが叶った。
私の独奏に始まり、曲毎に一本づつ尺八が増えていくという趣向である。「組曲 美星(川村裕司作曲・以下敬称略)」というゴキゲンな六重奏曲を再び舞台にかけたいという思いがあり、それをゴール(終曲)として選曲を始めた。
幕開けの独奏は古典本曲の中から熟考を重ね、私の勝負曲である「産安」を選んだ。いつでもどこでもかしこでも産安を吹いている印象が無きにしもあらずの私であるが、一応考えているのである。三重奏曲はポップな「わだつみのいろこの宮(福田蘭童作曲・糀場富美子編曲)」と決めていたので、二重奏曲には対照的で少々難解な現代音楽作品「アキ(廣瀬量平作曲)」を選んだ。これで6曲中4曲が決まった。
四重奏曲は結構選択肢があり迷ったのであるが、敬愛する長澤勝俊先生の爽やかな一曲「若竹の賦」にした。
残り1曲の五重奏曲は兄弟子・関 一郎さんの「ペンタゴニア2」と牧野由多可先生の「行雲」でしばらく逡巡したが、今どちらをやりたいかという観点から「ペンタゴニア2」を選んだ。
これで全6曲が決まった。「産安」「アキ」「わだつみのいろこの宮」「若竹の賦」「ペンタゴニア2」「組曲 美星」。並べてみると悪くない。
一人では二重奏以上は出来ないので助演者をお願いするのであるが、この構成は引き受ける方も大変である。二重奏から出演していただく人は全部で5曲、三重奏からでも4曲の出演となるからである。しかし、これは心配には及ばなかった。尺八三本会・風童で気心の知れた盟友、米村鈴笙君と岡田道明君にお願いすることが私の中で出来上がっていたからである。Eメールでの打診の段階で、”あのぅ、今年のリサイタルに助演で出てもらいたいんですけど・・。そんで、ちょっと曲数が多くなるかもしれないんですけど・・・”と暗に知らせておいた。日程OKの返信が無事に来て、この内容を伝えると二人とも意気に感じて快く引き受けてくれた。持つべきものは友である。この勢いで三人目の助演として、本曲会の仲間でシュアーな演奏の永廣孝山さんに白羽の矢を立て、これもすんなり決まった。なかなか良い展開である。”これは面白い会になりそうだ”とさらに残り二人の人選に入った。
ここまではオッサンばかりのメンツなので、あと二人は若手に入ってもらおうと考え、いま関西で引っ張りだこの川崎貴久さんと小林鈴純さんに当たりをつけたところ、こちらも快諾を頂戴することが叶った。こうして有り難いことに、曲目、奏者とも私の中ではベストなラインナップが出来上がった。
次の心配は”私を含めた6人のスケジュールが合う日に会場を確保出来るか”ということであった。さっそく予定していた会場のムラマツリサイタルホール新大阪へ電話をかけ、10月と11月の空き日を尋ねた。同会場は室内楽専用ホールとして大阪では人気が高く、電話をした6月の時点ですでに、私の都合の良い日の中では六日しか空き日がなかった。そそくさとその空き日をメールとファクスに纏め、助演の五名に打診をしたところ、11月1日ただ一日だけ皆のスケジュールが空いていた。何という幸運!私はついている。本番の日が決まればあとはさほど苦労は要らない。私は会の様子をシミュレーションしながら本番までのルーティンワークを進めた。
多忙な人ばかりで練習日程が確保出来るだろうか、という不安もあったが、全員で2回、5重奏まででもう1回の練習日時を取ることができた。うまく事が運ぶ時はこんなものである。
そんなこんなで本番当日がやってきた。嬉しいことに日本晴である。前日の最終リハで手応えを感じていた私の心も日本晴である。ところがその2時間後に驚嘆すべき事態が待ち受けていた。
当日の11月1日は、来年2月に予定している「石の会独奏会2018」の会場申込日のため、私は8時40分に豊中伝統芸能館にいた。受付を済ませ抽選時刻の9時を待っていたところ突然携帯が鳴った。着信を見ると登録の番号ではなく知らない人からだった。”こんな朝早くから誰だろう?”と訝りながら電話に出ると、”石川さんですか、今日はリサイタルの日ですよね。いま会場に着いたんですけど、まだ閉まってるんですわ”とオジサンの声が聞こえてきた。
”(ゲゲッ!)あのぅ、リサイタルは19時からなんですけど・・・”と、私が半ば絶句しながらそう告げると電話の向こうの人も”エッ!”と、しばし絶句され、”いただいたチラシには開演9時となってまっけど、夜の9時でっか”と訊ねてこられた。”いえいえ19時、夜の7時です”と私が改めて告げると、”ほな(大阪弁で それでは の意)、チラシが2種類あるんでっか”と相手様。”いえいえ、チラシは1種類で、開演の横にある一が1のことなんです”と私。話しながら(ホンマに来はった人がいはった)と冷や汗をかきながら、”もしよろしければまた夜7時にお出かけください”とお願いすると、”わかりました”と電話を切られたので安堵し、ため息をついた。
事の次第はこうである。チラシの制作を依頼する時に、「今回は和風で双六(すごろく)をイメージして作ってください」とデザイナーにお願いしたところ、出色のチラシ原稿が上がってきた。今回のリサイタルが第18回なので、一尺八寸と引っ掛けてタイトルを「第一八回石川利光尺八りさいたる・尺八会」にしてもらい、他の数字も漢数字で表していただいた。タイトルは縦書きだったので問題は無かったが、チラシの構成上、開場と開演時刻の表記が横書きとなり、「開場一八時半、開演一九時」という、後から思えば実に紛らわしい表記になってしまった。
実はご案内のDMを送付した際にも、投函した翌日に”開演9時とありますが、これは朝ですか夜ですか?”という電話がかかって来ていた。”いやいや、開演一九時です”と私がお知らせすると、相手様は”ああ〜、開演の横の一はハイフンと思いましたわ、朝にしても夜にしても9時ていうのはおっかしいなあ思て。お訊ねして良かったですわ”ということで納得していただいた。
伝統芸能館は無事に確保出来、一旦帰宅するために電車に乗りメールをチェックした。すると家からのメールがあった。「さっき、”ホールに着いたけど誰もいない”という電話がかかってきたので夜7時ですと伝えました」それを読んだ私は、”えっ、さっきの人の他にもいてはったん”、と座りながら腰が抜けそうになった。
こんな波乱の幕開けのリサイタルは初めてであった。
自宅を出て会場に向かいながら”朝の人はまた来てくれはるやろか。(その人達を含め)わざわざ時間とお金を使って聴きに来てくださる人に、とにかく精一杯の演奏をせなあかんなあ”と決意を新たにした。
開場の18時半前には早くも受付に人の列が出来、開演の19時には殆ど空席の無い状態で尺八会がスタートした。助演のおかげを持ち、実に濃く、充実した内容で終曲まで進めることが出来た。また、聴衆の皆様の熱気にもずいぶん後押しされ、演奏中”ああ、このまま曲が終わらなければいいのになあ”という感激の瞬間を何度も味わった。
ありがたや、有り難や、本当に私は果報者である。盛り上げてくださった助演の面々、スタッフの皆さん、そしてお客様、特に一日に二回も来てくださった奇特なお二組、すべての皆様に感謝する次第である。
いくぞーっ!イーチ、ニー、サーン(指を立ててね)アリガトー!!!