随筆石と竹「リトアニア万歳」

私にはたまらない二週間だった。

6月18日から6月30日まで、リトアニアを旅してきた。「地唄舞普及協会」という法人組織を立ち上げられ、地唄舞の啓蒙・普及に心血を注いでおられる花崎杜季女師からお声掛けを頂戴し随行メンバーに加えていただいた。

最初お話をうかがった時にまず思ったことは“リトアニアってどこにあるの?”ということだった。名前は聞いたことはあるが、地理的、歴史的なことはさっぱりわからなかった。おそらくこの駄文に目を通してくださっている多くの方々も私に近いと思われるので、少々リトアニアについて紹介することから始めたい。

“リトアニア”という国はヨーロッパ北東部のバルト海に面した三つの国の一つである。そういえば“バルト三国(大阪の人、“みくに”ではありまへんよ)”と歴史の教科書に出てきた記憶がある。“バルト三国”とは、北から“エストニア”“ラトビア”“リトアニア”の国々である(ちなみに大相撲の把瑠都〈ばると〉関はエストニアの出身でいらっしゃる)。
私が今回訪れることになったリトアニアは13世紀から18世紀頃までは大公国として認知され、広大な国土を有する強国であったらしい。そして歴史の流れの中でポーランド王国と合同したり、ロシアやドイツ、ソ連邦に侵略されたり、と変遷を経て、1990年に独立しリトアニア共和国となってこんにちを迎えている。2004年にはEUにも加盟した。
国の面積は65,303平方kmで日本の四国4県と九州8県を合わせた面積より少し広い。人口は約350万人で四国4県の人口よりすこし少ない。教会が多く、緑豊かで静かな美しい国である。
リトアニアと日本の関係を語る上で外すことの出来ない史実が「日本のシンドラー」と呼ばれる杉原千畝副領事の発行した“命のビザ”である。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害によりポーランドからリトアニアに流れてきたユダヤ人に対して、杉原副領事は自らの判断で日本通過ビザを発給し、6,000人にも上る人たちの命を救った。その史実から70年以上経過した現在でも杉原副領事のことは称えられており、こういう歴史的背景もあってか、リトアニアの人はとても親日的である。日本・リトアニア友好協会とリトアニア・日本友好協会がそれぞれ存在し、今回のツアーにおいても協力パートナーとして名を連ねられていた。

さて、前置きが長くなってしまったが、今回は「地唄舞」がメインの公演旅行なので、私の普段の演奏旅行とはスタッフ、内容ともにずいぶん異なっていた。
まずスタッフは、団長で主催者の花崎杜季女師のほか、舞台監督のカミヤさん、衣装のサトーさん、かつらのハタナカさん、化粧(“顔師さん”と呼ばれるそうである)のカンダさん、団長師のご門人で黒子役のコユキさん、そして地方(地唄舞では演奏者を“じかたorぢかた”と呼ぶ。“ちほう”ではない、念のため)として三絃のオハラさんと尺八の私、の総勢8名であった。メインの舞い手お一人に裏方が7人である。それぞれに重要な役割があり誰が外れても公演が成立し得ない。強いてあげれば、居なくともとりあえず何とかなるのは私であった。

ツアー中に5回の公演を行った。所要時間や公演形態、会場(大学や演劇祭など)で微妙に内容が異なったが、およそ共通していたのは、第一部が地唄舞、三絃、尺八の鑑賞舞台、第二部が三絃および尺八の紹介、地唄舞の解説、現地の人をモデルとした着付け・かつら・化粧の総合ワークショップ、美しいしぐさ教室等々、という盛りだくさんの内容であった。

第一部の地唄舞は地唄の名曲『雪』と、ドラマチックでストーリー性の高い『珠取り』を、会場により両方または1曲を鑑賞いただいた。開演時刻が到来すると、ほぼ真っ暗な舞台に静々と黒子が登場。舞台四方に据えられた燭台の蝋燭に火を灯し結界を作るところから公演が幕を開ける。
黒子が下がるのと入れ替わりに地方が入りスタンバイ。続いて舞い手が舞台中央につくと絶妙のタイミングでオハラさんの唄が始まる。だんだん照明が上がり舞い手の世界に導かれると、もはやそこが北欧であることを忘れてしまう。オハラさんの唄と三味線の音色が舞台を包みそれに尺八が色を添え、その中で舞い手が情念の世界を醸し出す。オハラさんは地唄界では中堅といった世代であるが、高い実力と豊富な経験を持ち不安は微塵も感じられない。私が地方はほとんど初めてなのにもかかわらず、何とか務められたのはオハラさんの力以外にありえない。
地方をしている間は楽譜を追っているため舞を鑑賞することは全く出来ない。が、それでも観客が息を殺して舞台に集中する気配は客席からよく伝わってくる。そして舞いが終わった後、感歎のため息の中から拍手が湧き起こり、それが徐々に大きくなり、やがて割れんばかりのそれに変わっていく。この瞬間を目の当たりにし、また舞台上で地方として共有することが出来、無常の喜びを感じた。
第一部はこの他に楽器の紹介も兼ねて、三絃(『芦刈』)と尺八(『(奥州伝)鶴の巣籠』)それぞれの独奏が1曲ずつ演奏された。面白い音のする、ギターに似た楽器を携え、自分達とはまったく違う発声法で歌われる歌の『芦刈』は、珍しいものを見るような目で、だがしかし、とても興味を持って聴き入る姿が印象的であった。続く『鶴の巣籠』は会場袖から吹き始め、歩いて舞台中央へ、そして終わりは別の袖へ去っていく、というスタイルで演奏した。こちらもいろんな音のする妙な笛といった感じでお聴きいただいたが、どの会場でもたくさんのあたたかい拍手を頂戴することが出来、何とか役目は果たしたかと安堵した。
続く第二部は全体として観客参加型のワークショップ構成であった。
こちらは第一部の厳かな雰囲気と異なり、最初からフレンドリーな空気である。まずオハラさんが三味線を抱え、“ラーバディアナ(リトアニア語で“こんにちは”)“と登場する。三味線や地唄のレクチャーを終えるとそこに客席から尺八が乱入する。尺八の音色や、歩きながら登場するスタイルには観客ももう驚かない。そこで退出しようとするオハラさんを引きとめ、三絃と尺八でリトアニアに伝わる『私は馬を飼っていた』という曲を演奏する。意表を突かれた観客は大喜びである。このプランは舞台監督のカミヤさんのアイデアであった。それまでの少々堅い会場の空気が一気に和む。そのまま尺八の紹介に入る。尺八の簡単な歴史を述べ、いろいろな奏法や音色をお聴きいただく。合唱で名高いリトアニアの人々は高い音楽性を有され、とてもスムーズにレクチャーをすることが出来た。
そしてこの後の、着付け、かつら、化粧のコーナーが第二部のハイライトであった。
事前に現地の人からモデルを選出し、あらかじめある程度まで舞台裏でしつらえておく。そのモデルを舞台上で説明を交えながら着付け、かつら、化粧を完成させるという構成である。リトアニアの女性が数十分間で日本の舞妓になる工程はとてもエキサイティングで感動的であった。
その頃にはもう舞台と客席の垣根は取り払われ、一体感が会場を包み込んでいた。続く団長先生とコユキさんによる地唄舞としぐさのワークショップでは皆客席から立ち上がり、日本風の振る舞いを堪能しておられた。
ラスト前のQ&Aコーナーではするどい質問が飛び交った。詳しくは書けないが様式的なことから精神的なことまでとても高い関心を示す内容であった。
そして大団円の手打ちである。団長先生が謝辞を述べ、日本式の三三七拍子で締めた。団長先生による“一年以上前からこの公演を準備してきました。公演は終わりましたが、日本とリトアニアの友好関係はこれからますます高まっていくものだと信じています”とのお言葉にはじーんときた。こうしてリトアニア各地で行われた5回の公演はすべて成功を収めた。

個人的にであるが、日本を発つ前には、非常に静的な舞踊である“地唄舞”および三絃と尺八による地唄、日本風の着付けやメイクなどが、日本から遠く離れたリトアニアの人たちにどれだけ受け入れられるだろうか、という一抹の不安を抱いていた。しかしそれは全くの杞憂に過ぎなかった。最初の公演から、会場を溢れんばかりのお客様にお越しいただき、我々は熱狂的な歓待と共に受け入れられた。そして行く先々で日本の文化、藝術が、高い関心を持って鑑賞された。

実は最初の公演が始まったあたりで団長先生の心労がピークを迎え、体調をひどく崩されるというアクシデントが起こっていた。周囲の人間には、とても舞が出来るような状態ではないように見えた。しかし、一年以上前から計画を立て、何度も打ち合わせのためにリトアニア入りされてきた団長先生の“地唄舞公演を成功させたい”という熱い想いがそれに打ち克った。公演はすべて予定通り開催され、団長先生は想いのこもった美しい日本の舞を舞われた。そして、このアクシデントが逆に、それぞれがそれぞれの役割を果たさねば、という、より強固な意志と意識を生み出し公演を成功へと導く力となったように思う。ほんとうに皆すばらしいメンバーであった。そして同行スタッフ以外にも、現地のあうぐすてさん、ミユキさん、シオヤさんほか多くの人々にひとかたならぬお世話を頂戴した。ずいぶん時間が経ってしまったがこの場を使い心より御礼申し上げたい。
そして何よりも忘れてはならないのが団長花崎杜季女先生への感謝の念である。その広い志と熱い想いは私に大いなる気づきと勇気を与えてくださった。これからも地唄舞の普及に、日本とリトアニアの橋渡し役として、ご活躍を祈念する次第である。

海外公演は大変なことも少なくないが、それを上回る成果と充実感を私に残してくれる。今回も尺八を吹いていてほんとうに良かったと実感させられた二週間であった。

“アチュウ(リトアニア語で“ありがとう”)”そして“リトアニア万歳!”(なお、これは“リトアニアバンザイ!”であって決して“リトアニアまんざい”ではない、念のため。)

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